秋山図(大里恭三郎氏の場合)

命題 大里氏が指弾するほど芥川は金持ちの王氏を悪い人物には描いていない。

 

「秋山図」は一読したかぎりでは、それこそ狐につままれたような印象を受ける。作者はここで、惲南田と同じ立場にたって、「王氏の秋山図が、張氏の秋山図と同じものであろうとなかろうと、それはどっちでもよいではないか。人の心にその秋山図の美しいイメージが生き続けているのなら……」と言っているのであろうか。

 

[#地から1字上げ](「秋山図」論――美の心象、一〇二頁)

[#地から1字上げ](大里恭三郎、芥川龍之介、審美社、1990年)

 

「秋山図」の主題について、これまでに最も深い解釈をしているのは、吉田精一であろう。

 

「芸術は結局鑑賞者と創作者との共同製作になること」というのは、特に論評を要しまい。

 

「成心なくして受け得た芸術の第一印象と、あらかじめ成心を以て対したそれとは全く別物と思われるほどの相違があること」というのは、煙客翁の場合に当てはまる。

 

五十年前、彼は虚心に秋山図と対した。だから彼は、その画の「神気」を味わうことができた。しかし、五十年後、彼は再びあの「神気」を味わえるものと当て込んで出掛けたために、初見のときのような感動を得ることが出来なかったのである。

 

このことは廉州先生の場合にも当てはまる。

 

彼に王氏の秋山図が「名作」と見えたのは、煙客先生から秋山図について予め何も聞かされていなかったからである。彼は何の先入観ももたずに、虚心に秋山図と対したゆえに、その美を純粋に感得することができたのである。

 

「理想的な芸術の像は鑑賞者の想像に於てのみ存在し得ること」というのは、「あなたの心に秋山図のイメージが残っているなら、実物がなくてもいいではないか」という惲南田の考えに当てはまる。

 

「想像の内に於いて、現実は一層美化され、理想化される為に、実際実物に接する場合には失望を味わうこと」というのは、王石谷の場合に当てはまる。

 

彼は煙客翁から、「あの黄一峯は公孫大嬢の剣器のやうなものでしたよ。筆墨はあつても、筆墨は見えない。唯何とも云へない神気が、直ちに心に迫つて来るのです。」と、秋山図の見事さを聞かされていたので、その先入観によって期待過多となっていた。

 

だから彼は、王氏宅でその秋山図を見たとき、自分は張氏の秋山図を見ていないにも拘らず、「この秋山図は、昔一たび煙客翁が張氏の家に見たと云ふ図と、確に別な黄一峯」であると、勝手に決めつけてしまったのである。

 

彼は自分の想像裡の秋山図と王氏の秋山図とを比較したのである。

 

[#地から1字上げ](「秋山図」論――美の心象、縮約、一〇四頁)

[#地から1字上げ](大里恭三郎、芥川龍之介、審美社、1990年)

 

「秋山図」の主題は、一言で言えば、芸術はそれを見る人の心のありようによって様々な表情を見せるということであろう。秋山図に対して、煙客、王石谷、廉州の三人は、それぞれの心理・心境で向かっていたのであり、秋山図はそれらの目に応じた映像として映し出されていたのである。王氏一人が、自分の所有している秋山図に関して何の見識ももっていないのは、彼が、ただ世評に動かされてそれを我物にしたに過ぎないからである。

 

[#地から1字上げ](「秋山図」論――美の心象、一〇六頁)

[#地から1字上げ](大里恭三郎、芥川龍之介、審美社、1990年)

 

吉田精一の鑑賞は委曲を尽くしているようにも見えるが、しかし肝腎の秋山図は、はたして煙客翁が五十年前に張氏の家で見た黄大癡の「秋山図」であったのかどうかについての判断は下していない。以下、私はその点について追究してみることにしよう。

 

[#地から1字上げ](「秋山図」論――美の心象、一〇七頁)

[#地から1字上げ](大里恭三郎、芥川龍之介、審美社、1990年)

 

「秋山図」が孕む謎の中心は、王氏所有の秋山図が、はたして、かつて張氏の所蔵していた秋山図と同一のものであるかどうかという点であろう。作中にはその双方を見た人物は煙客翁しかいないのだが、彼の目には、その二枚の秋山図は別物に見えている。何故か。――別物だったからである、というのでは冗談にもなるまい。作品が芥川好みの怪奇性を孕むためには、二枚の秋山図は同じ物でなければならない。全く同じものが別物に見える、だからこそミステリアスなのである。

 

[#地から1字上げ](「秋山図」論――美の心象、一〇七頁)

[#地から1字上げ](大里恭三郎、芥川龍之介、審美社、1990年)

 

二つの秋山図が同じものであることは、次のように証明出来るのではあるまいか。

 

惲南田が王石谷に、「では煙客先生だけは、確に秋山図を見られたのですか?」と問うたのに対して、王は、「先生は見たと云はれるのです。が、確に見られたのかどうか、それは誰にもわかりません。」と答えている。ここから見れば、煙客が確かに見たかどうかはともかくとして、王石谷がそれを見ていないことは確かであろう。にも拘らず、彼は、惲南田から、「煙客先生の心の中には、その妖しい秋山図が、はつきり残つてゐるのでせう。それからあなたの心の中にも、――」と問いかけられたとき、「山石の青緑だの紅葉の石朱の色だのは、今でもありあり見えるやうです。」と答えている。しかし、これは奇妙な会話である。王石谷の脳裏にありありと見える秋山図は、彼が張氏の秋山図を見ていない以上、それは彼自身が偽物と断定した王氏所蔵の秋山図であることは言うまでもない。「怪しい秋山図」とあるところから見ても、これは王氏の秋山図を指していることは明らかである。とすると、張氏所有の神品・秋山図を実見した煙客先生はいいとして、張氏の秋山図を見ていない王石谷が、それより「下位にある黄一峯」と鑑定したのはおこがましいというべきであろう。また、彼は、王氏の秋山図しか見ていないのであるから、いかにそれが脳裏に「ありあり見え」ようと、それで満足できるはずがない。「では秋山図がないにしても、憾む所はないではありませんか?」という惲南田のセリフは、煙客翁に対してなら意味をもつが、張氏の秋山図を知らない王石谷に対しては意味をなさない。その点で、最後に、王石谷が惲南田と共に一笑したのは不自然と言わざるを得ない。これは明らかに芥川の創作上のミスである。そのミスが作品を不当にミステリアスにしているのである。

 

[#地から1字上げ](「秋山図」論――美の心象、一〇七頁)

[#地から1字上げ](大里恭三郎、芥川龍之介、審美社、1990年)

 

だが、惲南田は、おそらく、王氏の秋山図が張氏の秋山図と同じものであることを見抜いていたのではあるまいか。そして彼は、その実物がなくても、人はイメージにそれを所蔵できるのだから、それでよいではないかと、秋山図の真偽の問題から少々視点をずらして粋な会話を交わしたのであろう。いずれにせよ、その二つの秋山図が同一のものであることは、作品の示す事実でもあると解釈してもよさそうである。

 

[#地から1字上げ](「秋山図」論――美の心象、一〇九頁)

[#地から1字上げ](大里恭三郎、芥川龍之介、審美社、1990年)

 

では、何故、全く同じ作品が、煙客翁と王石谷の目に別物と見えたのであろうか。王石谷は張氏の秋山図を見たことがないのであるから、王氏所有の秋山図を、張氏の家にあった秋山図でないと断定的に言い切る資格はないが、煙客翁の場合はその双方を実見しているわけだから、彼の目にそれが別物と映ったということは、それなりの理由があるのであろう。確かに、廉州先生一人は、王氏の秋山図を「名作」と見たが、彼は張氏の秋山図を見ていないのだから、いかに王氏の秋山図が名作だとしても、それを張氏の秋山図と同一のものと認定する根拠にはならない。

 

[#地から1字上げ](「秋山図」論――美の心象、一〇九頁)

[#地から1字上げ](大里恭三郎、芥川龍之介、審美社、1990年)

 

真贋とは何か。偽作であろうと、真作として世間をまかり通り、それなりに人を感動させ、その感動がもととなって、さらに創作を産んだなら、どうなるか。仮構の世界においては、虚が実体をしのぐがゆえに、そのはてに、偽物のなかに、真物のおもかげを見るのが、生存のゆたかさである。

 

[#地から1字上げ](由良君美、秋山図讃、縮約)

[#地から1字上げ](「秋山図」論――美の心象、一〇三頁)

[#地から1字上げ](大里恭三郎、芥川龍之介、審美社、1990年)

 

最後の惲南田の言葉から、「実証主義への嘲笑」を聞き取るのは自由であろう。しかし、惲南田の言葉は真偽を問題とするところからは発せられていない。彼は、偽作が真筆を超える場合もあるのだから、王氏の秋山図が仮に偽作であったとしても一向かまわないではないか、と言ったのではない。彼は、絵そのものがなくても、イメージとしてそれが脳裏に存在しているなら、それでいいではないか、と言ったのである。「虚が実体をしのぐ」だとか、「偽物のなかに、真物のおもかげをみる」だとかいった由良氏の解釈は、作品そのものから離れた饒舌と言わざるを得ない。

 

[#地から1字上げ](「秋山図」論――美の心象、一〇四頁)

[#地から1字上げ](大里恭三郎、芥川龍之介、審美社、1990年)

 

それから五十年後、この話を煙客先生から聞かされた私は、その一月後、南方への旅のついでに、煙客先生からもらった紹介状をもって、潤州の張氏の家を訪ねようとする。が、その途上、「秋山図」は既に、親戚筋の王氏の手に渡っているという噂を耳にしたので、王氏の家を訪れてみる。王氏も喜んで、その秋山図を披露してくれた。しかし、私の直観では、この「秋山図は、昔一たび煙客翁が張氏の家に見たと云ふ図と、確に別な黄一峯」であり、「その秋山図よりも、恐らくは下位にある黄一峯」と思われた。遅れてやって来た煙客先生も、王氏の手前、直接そうとは言わなかったが、やはり同意見であった。最後にやって来た廉州先生だけが、本心から、「これは癡翁第一の名作でせう。」と感嘆する。……

 

[#地から1字上げ](あらすじ)

[#地から1字上げ](「秋山図」論――美の心象、一〇一頁)

[#地から1字上げ](大里恭三郎、芥川龍之介、審美社、1990年)

 

 

芥川の「秋山図」のテキストは「青空文庫」でも読めますが、できれば、まずは全集や文庫本など、紙の媒体(活字)で読まれることをお薦めします。われわれは、「芥川龍之介全集第二巻」(筑摩書房、1964年)で、難しい漢語については吉田精一の註を見ながら読みました。

 

余計なことかもしれませんが、われわれは、大里恭三郎氏の「秋山図」論は間違っていると思っています。のみならず、このような読み方では、作者が最初に意図した本来の「秋山図」の美しさは立ち現われないと思います。というか、論者に、初めから「秋山図」の美しさが立ち現われていたならば、決して、このような解釈にはならなかっただろうと思うのです。

 

われわれはこんな風に芥川を読んで来ました。四十歳を過ぎてから、高校の授業で習った「羅生門」を読んだ時、作者には失礼ながら、あらためてその文章の上手さに感心しました。例えば、内田百閒の文章家としての名声は夙に知られていることですが、それに勝るとも劣らないくらい、芥川の文章は面白い。

 

さて、われわれは批評家ではないので、芥川の思想やその限界などはわかりません。である以上、芥川の失敗を乗り越えようなどとは思う道理もありません。ただ、百年前の芥川の文章は、われわれが、今、読んでも面白い。そして、この、シブコの駄菓子のような、スコットランドのキャンディーのような、面白さは、ひとりで舐めるだけではもったいない。

 

よって、われわれから、あなた方、日本人へ、送る言葉は、当然ながら、女子プロレスでもない以上、悔いのない青春などではありません。さあ、みなさん、ご一緒に、

 

あなたにも、チェルシー、あげたい。

 

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