第二芸術論(2024)

渋野日向子 日米4度目ホールインワンに「震えました」

勝とのコンビ「めちゃくちゃ楽しい、やばい!」

 

ペアを組む勝との相性も抜群。家を借りて一緒に泊まっており、前夜は2人でオムライスを作ったという。勝が「最高だよね」と言えば渋野も「めちゃくちゃ楽しい、やばい!」と応じる。“黄金世代”コンビでさらなる上位進出へ、渋野は「2人で協力して頑張りたい」と気合十分に言った。

 

[#地から1字上げ](スポーツニッポン新聞社によるストーリー)

 

短歌とは波長である。

 

[#地から1字上げ](栗木京子)

 

「第二芸術論」

 

奥さんが歌人だという先生に第二芸術論吹きかけしなつかしき酒宴かな

何だキミはそんなものを読んでいるのかとバブルはじけしころに第二芸術論をぶつ

なぜこれが短歌でなければならぬのか桑原武夫のつぶやくをきく

子規はいま半世紀まえにうたよみに与ふる書を書くこれがはじめに

近くには岡崎義恵吉川幸次郎小田切秀雄の三氏の書かれた本誌かな

されどわれそが歌よみに与へたきき持ちは持たぬ書をものせしかど

ただ近ごろは短歌なかなか盛んなるその道にこそひかれんとする人

さういふ若人になんわがことのはのあだにむげにぞおもはざらまし

やめておけそんな短歌をよむなかれ昔も今もわれ本投げし出さん

われの書は高みの見物言はれしも口答へんもそのふしもあり

われ高きところに登る好きなればノートル・ダムもルアン大聖堂も

奈良の大仏屋根にこそ約束こそせし仙台に転任にして適はならざり

フィンステラールホルン三時半出立ラテルネの灯はやがてバラ色の日には変はりつ

四二七五メートルの頂一〇〇〇メートルの足もと真下に氷河を望むかな

マッタホーン、ダン・ブランシュ、空はイタリア、モン・ブランをへてフランスへ

ゲーテバルザック、その中に近江八景色刷りの栞をわれは挿みたくはなき

恐らく啄木だけが知っていた僕にとつて、歌を作る日は不幸な日だ

芸術とは、個人が自己の生きる世界との間の相互作用にて新しい経験を作り出すこと

形式即内容、物質的精神的に変化した環境はかならず新しい形式を要求す

模倣的機械的作品と独創的芸術的作品とを混同させぬ以上、これは鉄則

実相観入とは皮相にとらはれずその底にある真実の相をつかみとれてふ茂吉の歌論

日本では政治も文化もあらゆる革新は復古の名にて行なはれしかし

誠実であらうとすれば残されし短歌は無意味ニヒルの凝視むなしい美感

イマジネーションの枯渇!歌人の精進不足かこのジャンルの行き詰まりか

新鋭の才能をここに集めえぬ開花せぬ没落してゆく形式に無理にすがれる

私は近ごろ短歌をよんで感動したことがない私も変わった二十歳の頃とは

かたくなになりかけた私の心を雑誌の短歌は感動させない説明できない

吉井勇氏も「天彦」のあたりまでは面白かったが、もうついて行けない

茂吉の歌も枯れて来たと言えるのかもしれないが今の私は素通りできる

私は告発する、短歌は年がいくと迫力を失う芸術形式であろうか

私は軽蔑する、三浦按人の記念館をタキツケにした東京の一部市民を

私は信じない、芸術の一ジャンルの永遠的絶対性というようなものを

浮御堂に洋装の女子を立たせたるごとく日本新八景にこころ浮かぬ日

風景の発見ならびに撮影に苦心のあることは十分察しうるがあはれ短歌の運命

和歌は一千年以上つづいている世界の芸術史にも類例のないことである

抽象と切り捨てはちがう短歌では切り捨てゆえの制限である

年ととも世界は複雑さ知りぬるをなどて歌人はその襞を切り捨てたまひしや

やまとうたは素朴な心が何かを思いついて歌い出るときに美しい夏の月

その無理が作家の人間として成長を妨げ、成長してもその全的表現を許さない

幅がありひだがあり複雑なるかな近代世界!しかるに余りに素朴な大和歌はも

ポーレーの賠償提案などもなつかしき苦しい時は歌にもすがる

千年も続いたものは理屈こえ現実もこえただあこがれさそう

内容より形式なるややまとうた詩や小説よりも上品とする

知れよかし芸術はたやすく作るものならず皆で語り合ふことにある

あるものが亡びる時はそのものの中まで異質対立忍びこみ来る

あはれフランス大革命貴族はもとより反革命の思想を抱きつ

あはれしかもかれらも啓蒙思想に浸透されて行かざるを得ざりき

わが歌は短歌崩壊第一報なり近代化をこそ歌人が言ふ間に

尊重し研究し愛誦すとももはやわれ短歌で自己の表現はせず

さあ、皆さんご一緒に、マス、マス、マス、オムレツはトゥ・ドゥ・シュイット

 

[#地から1字上げ](「角川短歌賞」落選作品・五十首)

 

もしかしたら、当時(2015年)の歌壇では早すぎたのか、なぜか、これが落選したわれわれの応募作である。渋野&勝のオムライスの記事で、フラッシュ・バックのように悪夢がよみがえってしまった。とはいえ、確かに、当時は必要だったのだ。お笑い下さいませ、司馬さん。

 

[#地から1字上げ](坂の上の雲

 

頭上に迫る弾丸の音、それも銃弾・砲弾・爆弾それぞれによって、音が微妙に違う。あの命の危急に迫る音も、七十年の平和の中で忘れ遠のいてゆく。素晴らしい平和。

 

良い歌だ。私も山村でお産婆さんにとりあげてもらった。作者も同じように生まれたか、あるいは村中の子をとりあげた信望篤いお産婆さんだったのかもしれない。

 

こういう思い出を作者に残して世を去られたお母さんに、私も作者と共にお礼申しあげたい。あの歌が聞こえてくる。

 

[#地から1字上げ](岡野弘彦

[#地から1字上げ](読売新聞2015年5月25日)

 

人生のスゴロク。転機になる行動といえば一般的には「上京」とか「留学」などと書きそうだが、「家出」と書いた子がいた。矢印の先に書き記したところが機知に富む。

 

「ひと夜さ」は「ひと夜」と同じ意味である。心に浮かんだ一首の歌を宝物のようにいつくしみ、唱えながら眠りにつく作者。その誠実さを私も見習わねば、と思った。

 

「揚げ雲雀」という言葉があるように、雲雀は上向きの飛翔ばかり注目されるが、横向きに飛ぶ姿も美しいはず。着想の光る歌。

 

[#地から1字上げ](栗木京子)

[#地から1字上げ](読売新聞2015年5月25日)

 

「みどりさんの文体」

 

日頃の著者の話し方などを知っていると、その人の文章を読む時は、文体というのではないが、リズムを指定されてあるような気がする。楽譜などの欄外に記された、「ある程度急いで」とか「心持遅く」とか、そんな音符とは直接関係のないような、作曲家の書き込みのようなものでもあるだろうか。先日から、図書館で『司馬さんは夢の中』を読み始めたが、それに当たっては、以前深夜ラジオで聞いた、みどりさんのインタビューの記憶が、丁度、楽譜に記された注意書きのように、私の読書のリズムを快く規程しているようである。一読してすぐわかることだが、みどりさんの文章は独特である。スタイルとしては、聞き語りを筆記したようでもあるが、問わず語りでもあり、一人称のエッセイなのに、突然、誰かに話し掛けるようであったりする。ありていに云えば、読みにくい文章である。ことわりを云えば、初めての人にはと、付け加えたほうが穏便かもわからない。しかし、そもそもが、この本は、みどりさんの思い出を、思い出すままに書くことで、自分の悲しみを紛らわすことが最初の目的で始められた文章であったのだから、理路整然たる文章でないのは固よりなのだが、このことが却って、記憶の思い出しとはどういうものか、その作業工程をわれわれ読者は読んでいるような感じにもなり、その点でも興味を惹くエッセイだと思われる。さて、司馬さんと云えば、速読は特技として知られており、しかも、誰かとコーヒーを飲んで話をしながらパラパラとページを捲って、それで本の内容を掴むことが出来たと伝説されているが、そんな司馬さんが、もしも、このみどりさんの本を読んだとすれば果たしてどうなるかとも思われた。とにかく、次に何が来るかわからない、検索するには不向きな本であり、「懐かしい。そのうち司馬さんと二人で歩く日が来るのですから」という記述を確認するために、前日に読んだ箇所を探そうと思ったが、探せば探すほどそれは見つからず、前に行ったり後ろを見たりとした挙句、ページの中にひょっこりとそれが見つかって、ようやくのことで安心をしたのであった。この一節は、司馬さんとみどりさんがまだ新聞社の同僚だった時代の記述で、その頃、新聞社の仲間たちと深夜まで大いに飲み歩いたという界隈の話になった場面の次に来る文章である。この「そのうち」というのは、だから、「その後」という意味で使われているが、話者の時制としては、「過去から未来へ」を示しているところの「過去」である。(というか、懐かしい未来?)たまたまその日読んだ司馬さんの本には、日本は今後、北海道を国家の穀倉地帯と見做して食料自給を確保すべしとの提案があり、そんな意味も込めて、日本のこれからの「かたち」は、例えばデンマーク・アンド・アイヌの思想で創造されるのがいいのではないかと想像されてあった。一方、その日のみどりさんの本では、昭和二十五年から昭和三十五年頃の思い出で、あの頃は、今と違ってよかったとある。みどりさんは、今の日本は、せせこましくて殺伐として、しかし、これ以上云うと、年寄りの愚痴になるかしらと締めていた。

 

ちりとてちん・日記 XVI」

 

第十六回を見た。少し専門的な見方かもしれないがWEの露出の配分はもっと多くした方がいい。あと、舞台は十年前ということで、ドラマではまだ民営化していない郵便局の対応の悪さを克明に描写していたが、あれは、あまりにも現政権へのNHKの擦り寄りではないだろうか。しかし、その客を待たせる公社の横柄な対応が、そのまま糸子(和久井映見)をして大阪に行かしむるのだから、ドラマにとっては好都合でもあったわけである。思えば、小浜と大阪とは、普通の主婦がエプロンで行けるほどに近い。ことほど左様に、現代交通機関の発達は隔世の感がある。しかし、そんなにすぐに会えるなら、あの日の放送で、WEの歌う「ふるさと」を聴きながら、涙したわれわれの感動は何だったのだろうかとも考えた。しかし、考えても、所詮、答えの出ない問いなのか。