白熱教室第10回(前編)

前回に引き続き

今回も

アリストテレスについて考えていこう

 

現代の正義論は

道徳的対価や美徳といった概念から

正義や権利を

切り離そうとするものだった

 

アリストテレスの主張は

カントやロールズとは異なる

 

彼の考える正義は

人々にふさわしいものを与えることだ

 

アリストテレスの正義論の中心には

1つの考え方がある

 

正義や権利を論じる時には

社会的実践や制度の意義

目的、つまりテロスに関する議論が

避けられないというのだ

 

正義が平等な人々に

平等に物を分配することだと考えると

すぐに問題が出てくる

何をもって平等というのか

その質問に答えるためには

分配する物それぞれの目標

本質的な性質

そして目的を考えなければならないと

アリストテレスは言う

 

フルートの話をしたね

誰が最高のフルートを手にすべきか

 

アリストテレス

最高のフルート奏者だと答える

 

最高のフルート奏者が

最高のフルートを手にする

それこそが名誉だ

最高のフルート

それを与えられることで

卓越したフルートの演奏と優れた

フルート奏者が持つ美徳が報われる

 

今日のテーマになる興味深い論点は

我々が社会制度や

政治的実践について考える時

目的論なしですますのは

決して簡単ではないということだ

 

一般的に

目的論を抜きにして倫理や正義

道徳的議論を考えることは難しい

少なくとも

アリストテレスはそう考えた

 

では彼の主張の力を明らかにするために

2つの例を挙げてみよう

 

1つはアリストテレス

かなりの長さで論じている

政治の問題だ

 

政治的地位や名誉、政治的統治は

どのように分配されるべきか

 

2つ目の例は

現代のゴルフに関する論争だ

 

全米プロゴルフ協会PGAは

脚に障害のあるゴルファー

ケイシ―・マーティンに対して

試合中のカートの使用を

許可すべきかどうか

 

この2つの例から私たちは

アリストテレスの目的論に基づいた

正義をより深く理解することができる

 

テロス

つまり目的について考えた時

社会的実践の

本当の目的というのは

意見が分かれるところだ

そのような

意見の不一致が見られるのは

誰が何を得るか

という点だけではない

単に分配の問題ではなく

名誉の問題でもある

一体どのような

個人の資質や秀逸さに対して

名誉が与えられるのだろうか

目的やテロスについての議論は

同時に名誉についての

議論であることが多い

 

それではここでアリストテレス

政治論を見てみよう

 

現代における配分的正義は

収入、財産

そして機会の配分が主な争点となる

 

しかしアリストテレス

収入や財産よりも地位や

名誉についての分配的正義を考えた

 

誰が統治権を持つべきか

誰が市民であるべきか

どのように政治権力は

分配されるべきか

これらの問いに彼はどう答えたのか

 

アリストテレス

目的論に基づいて正義を考えた

政治権力の分配方法を

理解するためにはまず

政治の目的、意義、そして

テロスとは何かを問わなければならない

 

では政治とは何だろうか

この問いに答えれば

統治者を決定できるのだろうか

アリストテレスはこう答える

 

政治とは

善い人格を形成すること

市民たちの美徳を高めること

つまり

善き生をもたらすものだ

 

著作『政治学』の第3巻で

彼はこのように言っている

 

国家や政治的共同体の目的は

単なる生活ではない

経済活動や安全保障に

限ったことでもない

政治の目的は

善き生を実現することだ

 

君たちの中には

この考えに疑問を持ち

近代の正義論や政治論のほうが

正しいと思う人がいるかもしれない

思い出してほしい

 

カントやロールズにとっての

政治の意味は

市民の道徳的人格を

形成することではなかった

政治は私たちを善くするものではなく

私たちが善や価値

目的を選択する自由を尊重し

他者にも同様の自由を

認めることだった

 

アリストテレスは違う

 

名ばかりでなく、真にポリスと呼ばれるものは、善の追求という、目的に献身すべきだ。さもなければ、政治的共同体は、ただの同盟に陥る。

 

[#地から1字上げ](アリストテレス

 

法は、他人から人間の権利を保障するだけの約束事になってしまう。本来は、ポリスの市民に善と正義を与える規範であるべきなのに。

 

[#地から1字上げ](アリストテレス

 

ポリスは、同じ場所に住む者の集団ではない。互いの不正義を防ぎ、取引を容易にするためのものでもない。ポリスの目的と意義は善き生であり、社会生活の諸制度は、その目的のための手段である。

 

[#地から1字上げ](アリストテレス

 

アリストテレス

さらに次のように問いかける

 

これが政治やポリスの目的だとすると

分配的正義の原理を基に

誰が一番発言力を持つべきか

誰が最高の政治権力を振るうべきか

 

アリストテレスはこう答える

 

このような特徴を持つ集団

つまり、善を追求する集団に

最も貢献する者こそ

政治的統治における役割や

ポリスにおける名声を得るべきである

なぜなら

政治的共同体の本質的な部分に

貢献する力があるからだ

 

アリストテレスがどのように

公民権や政治権力の分配原理と

政治の目的を

結びつけたか理解できたと思う

しかし、すぐに疑問が浮かぶだろう

 

なぜアリストテレス

政治的な生活や政治への参加が

善き生に不可欠だと

主張したのだろうか

 

政治に参加しなければ、完全に善き生活

立派な生活、道徳的な生活を

送ることは不可能なのだろうか

 

彼はこの問いに2つの答えを挙げた

1つ目は『政治学』の第1巻で

手短に述べられている

 

アリストテレスいわく、ポリスで生活し

政治に参加することによってのみ

我々は人間としての本質を

十分に発揮できる

つまり、人間は本来

ポリスで生きるものだというのだ

 

なぜなら

我々は政治的生活によってのみ

人間固有の言語能力を

活用できるからだ

 

アリストテレス

この言語能力によって

物事の善悪や正義・不正義を

論じることができると考えていた

 

彼は『政治学』の第1巻で

こう書いている

 

政治的共同体であるポリスは、自然に発生するものであり、個人に優先する。時間的に優先するのではなく、その目的において優先するのだ。

 

[#地から1字上げ](アリストテレス

 

人間は共同体の外で暮らしても

自己充足することができない

 

孤立している者、政治的共同体の便益を分かち合えない者、または自足していて分かち合う必要がない者は、獣か神であるに違いない。

 

[#地から1字上げ](アリストテレス

 

私たちは

言語能力を活用する時にのみ

人間としての本質や能力を

十分に発揮できる

 

つまり、私たちが同胞である

市民たちと物事の善し悪し

または正義・不正義について

議論する時だ

 

それでは、私たちはなぜ

政治的共同体でしか

言語能力を発揮することが

できないのだろうか

 

アリストテレス

より詳しい2つ目の答えは

彼の著作『ニコマコス倫理学』で

説明されている

この抜粋は

課題の読み物にも入れてある

 

彼はその中で

政治について論じること

市民として生きること

統治し統治されること

そして、権力を分配することすべてが

美徳に必要不可欠だと

説明している

 

アリストテレスが定義する幸福は

苦痛に対する喜びの大きさを

最大にするものではない

 

幸福とは

美徳に基づいた魂の活動である

 

さらに彼は、政治を学ぶすべての者は

魂を学ぶ必要があると言う

 

魂を形作ることは

善き都市における

法の目的の1つなのだ

 

しかし、徳のある生活を営むために

善き都市で暮らす必要があるのか

 

家庭の中や哲学の授業

あるいは本から、道徳的規範を学び

そういった原則や規則

または指針に従って

生きるだけではダメなのだろうか

 

アリストテレスは、美徳は

そのように得るものではないと言う

 

彼によれば

美徳とは実践し自分で行動する

ことによってのみ得られるもの

実際にやってみることで

初めて身につく

 

本から学ぶものではない

 

そういう点では

フルートの演奏に似ている

 

教則本を読むだけでは

上手に演奏することはできない

練習したり、優れたフルートの演奏を

聴いたりしなければならない

 

ほかにも似たような例がある

料理だ

 

一流の料理人の中で、料理本だけで

調理法を学んだ人はいない

料理は実戦によってのみ学べる

 

お笑いも

もう1つの例と言えるだろう

 

コメディーの原理を読んだだけで

一流のコメディアンに

なった人はいない

 

これはなぜだろう

 

お笑い、料理、楽器の演奏に

共通するものは何だろうか

 

本や授業から

ルールを理解するだけでは

なぜ習得できないのだろうか

 

これら3つの活動に共通するのは

コツをつかむということだ

 

では料理、演奏、そしてお笑いのために

必要なコツとは何だろうか

 

それは与えられた個別の状況の

特徴を見抜くことだ

 

コメディアンや料理人や演奏家

それぞれ与えられた個別の状況が

どのようなものか

把握しなければならない

 

しかし、それを把握する習慣を

身につけることができる

規則や指針はどこにも存在しない

 

美徳も同じだとアリストテレスは言う

 

では、これがどう政治に

結びつくのだろうか

 

我々が善く生きるためには

美徳を得なければならない

そのための唯一の方法は

必要な習慣を身につけるために

徳を実践し

さらに、善の本質について

市民同士が議論することである

 

これが政治の究極的な姿だ

 

我々には市民的な美徳や

対等な仲間たちと

論じ合う能力が必要だ

 

こういったものは、政治に参加せず

1人で生きていては決して得られない

 

従って、我々は

本質を発揮するために

政治に参加しなければならない

 

そして、アテネの政治家

ペリクレスのように

最高の市民的な美徳を持つ者は

最高の政治的な地位と名誉を与えられる

 

つまり、地位や名誉の

分配についての議論は

目的論的な性格だけでなく

名誉という側面も持っている

ペリクレスのような人々を称えることも

政治の目的の1つだからだ

 

ペリクレス

大きな発言力が与えられるのは

最善の結果を

市民にもたらすような判断を下せる

という理由だけではない

 

もちろんそれも事実だし、重要なことだ

 

しかし、ペリクレスのような人物が

ポリスで最高の地位や名誉、権力

そして影響力を持つべき理由が

もう1つある

 

ふさわしい美徳を持つものを選び

名誉を与えることも

政治の重要な点の1つだからだ

 

この場合の美徳とは

市民的な美徳や卓越性

実戦的な知恵などを指す

 

この名誉という側面は

アリストテレスの政治論には欠かせない

 

ではここで

アリストテレスの議論を実例によって

現代社会の論争に

当てはめて考えてみたいと思う

アリストテレスの2つの議論の

つながりを見るためだ

 

2つの議論とは

正義と権利についての議論

そして、社会的実践のテロスや

目的についての議論だった

 

これから見ていくケイシ―・マーティンと

ゴルフカートの訴訟は

それだけではなく次の2つの問題の

関係も明らかにしてくれる

 

1つの問題は社会的実践の目的

この例で言うと競技の目的だ

 

もう1つは、名誉に値するべき資質とは

何かという問題だ

 

つまり、目的論と、名誉に基づく

分配的正義の関係である

 

ケイシ―・マーティンは

大変優れたゴルファーで

一流選手たちと競う

実力を持っていた

しかし、1つ問題があった

彼は脚に特殊な

血液循環障害を抱えており

歩くのが困難だった

困難どころか危険だった

そこでマーティンは

プロゴルフツアーを運営する

PGAに対して、ある申請をした

プロトーナメントに参加する際

ゴルフカートの使用を

認めてほしいと言ったのだ

PGAは申請を却下した

そこで彼はアメリカ障害者法に

基づいてPGAを訴え

この訴訟は

最高裁判所まで持ち込まれた

そして

最高裁判所で争点となったのは

マーティンにはPGAから許可を得て

ツアー中にカートを使用する権利が

あるかどうか、という問題だった

 

意見を聞いてみよう

 

君たちの中で、道徳的に考えて

ケイシ―・マーティンには

ゴルフカートを使う権利があるはずだと

考える人は手を挙げてほしい

 

では、トーナメントで

カートを使う権利がないと考える人は?

 

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