失言、あるいは少し長い文章

「ある人間が突然理解するとき、何がおきているのか」――この問はたて方が悪い。

 

[#地から1字上げ](321)

[#地から1字上げ](中村昇、続・ウィトゲンシュタイン哲学探究』入門、教育評論社、2021年)

 

お客さん、何なさっとるの?

小説書いてます

そりゃ親御さん、大へんですわな

…………

何? 奥さん、おるとな

そりゃあ、苦労するわな

早よう、探偵小説書かんとね

そうですね

 

[#地から1字上げ](タクシーのなか、三四九頁)

[#地から1字上げ](ひとつ、村上さんでやってみるか、朝日新聞社、2006年)

 

私たちの生きている世界は、足を踏み出すに先立って、そのつど、そこに大地があるかどうかを確認しなければならないようであっては困ります。そこに確かなものとしてあると「信じる」ことができる、あるいはむしろ、そのように信じていることに気づかないでいられるのでなければなりません。私たちはそのために、この世界を「馴染みのある世界」として「作り上げている」のです。その顕著な例が「神話(ミュートス)」です。多くの神話には、神がこの世界をさまざまに創り出すありさまが物語られています。この世界と私たち自身のあり方を、私たちより優れた「神の働き」として理解することは、人類史の一段階としてほぼ普遍的に見られることです。しかし、そのように神話で語られたとしても私たちのまわりには分からないことが多くあり、世界は「ほどほどに馴染みのある世界」であるほかないのです。だから私たちはもっと世界を「知りたい」と考え、「問う」ことになります。ギリシアにおける哲学という営みは、アリストテレスの証言によれば、こうした物語としての神話からの「別れ」として始まりました。

 

[#地から1字上げ](はじめに、七頁)

[#地から1字上げ](高橋久一郎アリストテレス、NHK出版、2005年)

 

アリストテレスの哲学は、私たちが一般に見知っている「通念」(常識)が含むアポリア(難問)を、さまざまな仕方で、典型的には「問答法」を通じて吟味していきます。問答法とは、一人机に向かって考えるのではなく、人々に問いかけ議論してゆく方法です。この過程を通じて、一般に信じられている通念を解きほぐし、問題の所在を明らかにし、通念の内にある「真理」(と誤り)を解明しようとするのです。もちろん一般的には問答法による吟味には、「普遍的な真理」はもとより、瑣末な真理にさえ確実にいたる保証はありません。にもかかわらずアリストテレスはこの方法に信頼をおきました。それはなぜなのでしょう。アリストテレスはこう語っています。

 

[#地から1字上げ](はじめに、九頁)

[#地から1字上げ](高橋久一郎アリストテレス、NHK出版、2005年)

 

真理について観相[理論的に捉える]ことは、ある意味では困難であるが、ある意味では容易である。……誰一人として真理に十分に触れることはできないが、まったく外れているわけではなく、それぞれの人は自然[この世界のあり方]について何かしらを語っており、一人一人を見れば、まったく、あるいは、ほんのわずかしか真理に寄与していないが、すべての人の協力からかなり多大のものが生じている。

 

[#地から1字上げ](Met・993a30)

[#地から1字上げ](はじめに、九頁)

[#地から1字上げ](高橋久一郎アリストテレス、NHK出版、2005年)

 

何だか難しい言い方をしていますが、要するに一人の力では明らかにならない真理も多くの人の協力によってずいぶん分かるようになるということです。アリストテレスが問答法にこだわったわけが少し分かるような気がします。アリストテレスはまた、私たちの探求は「真理それ自体に強いられて」(984b10)なされることであるとも語っています。つまり、問答法によって通念を吟味してゆけば真理は自ずと現れてくると信じていたのです。アリストテレスによればこうして「確かなもの」を持つことができることになるというのです。

 

[#地から1字上げ](はじめに、一〇頁)

[#地から1字上げ](高橋久一郎アリストテレス、NHK出版、2005年)

 

もちろん、こうした問答法による探求だけによって私たちの生きている世界についての事実や真理がみな明らかになるわけではありません。そうした事実や真理の多くは、むしろ私たちの経験や個別的な学問・科学が提供することです。もちろん、ギリシア世界において哲学と個別的な学問・科学は現代におけるようには区別されてはいませんでした。アリストテレスにおいては、哲学が学問であり科学でした。

 

[#地から1字上げ](はじめに、一〇頁)

[#地から1字上げ](高橋久一郎アリストテレス、NHK出版、2005年)

 

実は現代においても哲学と個別的な学問・科学は相互に全く独立ではありえないと私は考えています。だから、哲学の問いを哲学だけの問いとして問うことはできないとも考えています。しかしそれでも確かに、哲学には個別的な学問・科学とは異なった位相があります。あえて言えば、哲学はどこかに永遠普遍の真理や答えを探しに行くことではなく、個別的な学問・科学を含めた通念をふさわしく分析し、正しく問うことから始まります。アリストテレスの哲学は、こうした通念から出発し、通念の内に含まれている平凡な、しかしそれゆえにこそむしろ重要な真理を理解し、深められた理解とともに通念に回帰しようとします。この過程を通じて、それぞれの通念は「ここ」にあって「確かなもの」となる。言ってみれば何のことはない、いわゆる「良心」的な常識人の発想を徹底的に吟味するものなのです。

 

[#地から1字上げ](はじめに、一〇頁)

[#地から1字上げ](高橋久一郎アリストテレス、NHK出版、2005年)

 

このように言うと、あるいは、こうした思いがけない論点から始まる議論を期待するかもしれません。しかし本書で私は、そうした点については指摘するにとどめます。そのかわりに、私たちが日常的に行っている「行為」について語るアリストテレスの考え方の「なーんだ」と思われそうな「筋立て」を紹介したいと思います。そして、そのための材料として、「意志の弱さ」として私たちが語っている現象についての議論を少し詳しく見ることにします。浮かび上がってくるアリストテレスの「筋立て」は生ぬるく見える「筋立て」ですが、この「筋立て」こそアリストテレスを何度でも立ち返るべき「古典」としていると考えるからです。

 

[#地から1字上げ](はじめに、一一頁)

[#地から1字上げ](高橋久一郎アリストテレス、NHK出版、2005年)

 

私たちは生きています。私たちの生きることは〈こころ〉が何らかの〈かたち〉を持つようになることでした。残念ながら、私たちの生きることはあらかじめ構想され組み立てられるものではありません。あってもなくてもよいエピソード、あってはならないエピソードを含みつつ、その〈かたち〉を作っていくのが私たちの生きることであり、その〈かたち〉が善くあることが「善く生きる」ことです。そして私たちは「善く生きる」ことを、つまり幸福であることを望んでいます。「善く生きる」ということは、「上手に生きる」ことでもあります。「上手に生きる」ことは、しかし「自ずと生じてくる」ことではありません。「上手に生きる」ことが可能であり、しかも自ずと生じてくるのでなければ、「学ぶ」ことができるのなければなりません。そして、それは習慣という仕方で可能であるとアリストテレスは考えました。

 

[#地から1字上げ](おわりに、一一五頁)

[#地から1字上げ](高橋久一郎アリストテレス、NHK出版)

 

こうした考えを支えていたのは、再現・模倣についての理解です。アリストテレスは、再現・模倣を人間の際だった特徴と考えています。

 

[#地から1字上げ](おわりに、一一五頁)

[#地から1字上げ](高橋久一郎アリストテレス、NHK出版)

 

再現・模倣することは、子供のころから人間に備わった自然な傾向である。しかも人間は、もっとも模倣を好み、再現・模倣によって最初にものを学ぶという点で、他の動物と異なる。また誰もが再現・模倣されたものに歓ぶことも自然な傾向である。

 

[#地から1字上げ](AP. 1448b5-9)

[#地から1字上げ](おわりに、一一六頁)

[#地から1字上げ](高橋久一郎アリストテレス、NHK出版)

 

最近の研究によってもこのことは確認されています。「猿真似」という言葉がありますが、サルは意外に模倣しないようです。私たちはこの世界にあって「歯みがき」といったことでもいいのですが、〈大人〉のしていることを模倣することで馴染みの世界としているのです。そして、個別的に模倣されるのはそれぞれのエピソードですが、さまざまなエピソードは筋立てのもとに構成されて初めて、一まとまりのものとして理解されるロゴスとして成立します。

 

[#地から1字上げ](おわりに、一一六頁)

[#地から1字上げ](高橋久一郎アリストテレス、NHK出版)

 

行為についての私たちの説明は、「悲劇」においてと同じように、統一された「筋立て」を目指しているのではないでしょうか? 「筋立て」と訳した「ミュートス」は、「はじめに」において「神話」と訳したものと同じ言葉です。神話は一つの「隠蔽」でしたが、私たちのロゴス(説明・語り)もまた、別の意味ではありますが、「隠蔽」であるように思われます。すなわち、真理=ロゴスを具体的なエピソードに託すという隠蔽です。この隠蔽を通じてのみ内実のある真理は示されるのです。

 

[#地から1字上げ](おわりに、一一六頁)

[#地から1字上げ](高橋久一郎アリストテレス、NHK出版)

 

神をわたしのなかに閉じこめれば、神はわたしの中心点であり

愛によって神のなかに溶け込めば、神はわたしの円周である。

 

[#地から1字上げ](アンゲルス・ジレージウス)