第五部・トーキング・ブック

「無題」

 

えん筆でざくろをつぶすと

ピンクのしるが飛んで出た

こうかいしたけど遅かった

 

[#地から1字上げ](私の添削)

 

「港」

 

港には魚群探知機付きの

新型船が入港した

 

島は鉄の橋で繋がった

その下を走るモーターボート

 

港は日に日に新しくなる

海の波は昔のそのままだ

 

あ、かもめが揺れている

しかし私の知ったことか

 

ザブラン、ザブラン、アヨ

ザブラン、ザブラン、アヨ

 

[#地から1字上げ](私の添削)

 

「葉書」

 

渡辺にあてた「どこからともなくやってくる一枚の葉書」は、おとといの夜灰皿でもやした。それは全ての期待をかけて勝手に造りあげた、(寂しさをいやすための)渡辺像であったからだ。赤い炎をだして燃えて灰になった。

 

[#地から1字上げ](三月十五日)

 

未知の戦慄を覚える様な作品を期待する。

 

[#地から1字上げ](石原慎太郎

 

井伏鱒二は太宰の死後しばらく経ってから、もし、太宰が戦争に借り出されていたらどうであっただろうかと自問している。井伏は、もし、太宰が戦地に行かされていたら、『斜陽』も、『ヴィヨンの妻』も、『トカトントン』も、生れなかっただろうと書いている。答えかどうかはわからない。――

 

責任が重いんだぜ。わからないかね。一日一日、責任が重くなっているんだぜ。もっと、まともに苦しもうよ。まともに生き切る努力をしようぜ。明日の生活の計画よりは、きょうの没我のパッションが大事です。戦地に行った人たちの事を考えろ。正直はいつの時代でも、美徳だと思います。ごまかそうたって、だめですよ。明日の立派な覚悟より、きょうの、つたない献身が、いま必要であります。お前たちの責任は重いぜ。」/と或る詩人が、私の家へ来て私に向って言いました。その人は、酒に酔ってはいませんでした。

 

[#地から1字上げ](太宰治『或る忠告』)

 

「八月十三日」

 

帰り道

今日の夕焼けは美しかった

写真機があれば残したかった

けれども、何のために

ははん、このあたりが

吉野弘「夕焼け」という詩の

われにもあらず受難者となるだな

何故って

何故って

夕焼けというのは

どこまで行っても

いつだって

美しいのだから

 

「身一点」

 

また立命の組織であるが、教授、学生という二つのストレートな関係でなく、財務部、総務部が各学部と並んで、さらに理事会やらがあり、何となく株式会社を感じさせるのである。文学部長の林屋辰三郎氏は、研究者であると同時に教育者で、また管理者のような位置にもある。立命にはイロイロな会議がある。研究室会議、五者会議、学振懇、全学協議会、補導会議……それらの会議で何が行われているのかもあまり知らない。部長だの課長に誰がなっているのかもわからない。北山氏の辞表提出がなぜ行われたのかもわからない。この事をきっかけとして、私は立命大の学生の一人として機構や教学体制がどうなっているのかを調べてみた。

 

[#地から1字上げ](一月二十三日(木))

 

何度も話し合いが行われた。これが真実だといって幾つかの事実が出される。こう混乱してくると、幾多のデマが氾らんする。ビラや立看で知るのが唯一の情報、事務室の掲示にしろ、大学のどこの部分で決ったのかがわからぬ決定が出される。試験延期、五者会談。全共闘は全学協路線粉砕を叫び独自の大衆団交集会をもつ。教授会が実力排除のための角棒ヘルメットの費用の一部を出すなど、寮連合会が理事会と直接団交をするなど、また教授が相ついで辞表を提出するなど、立命は実質的に崩壊しつつある。教授会自治もいい加減なものであった。十三日に寮連合が大衆団交を行なってから急速に事態は変転している。封鎖が自治破壊か、実力排除が暴力か?

 

[#地から1字上げ](一月二十五日(土))

 

クラス討論に出たもののシックリ参加できなかった自分、文学部大衆団交の騒々しい渦の中でそれを「つるしあげ」としか感じなかった自分、それを何とも表現できなかった自分。/大衆団交の場から抜け出して屋上へ行ったが誰もいなかった。喫茶店に行く気もせず、ウラ寂しい気持で電車に乗った。/竹山さんはこれから金鉱山の資料を調べるという。自分は甘いなあと思う。ワンゲルは山へ行くクラブだと思う。何とはなしに安息を得る。しかし、安息を得るだけで入会しているべきではない。クラブはそんな甘いもんじゃない。自分は一体何をやってるんだろう。生きているんだろうか。山の写真をはってムードに浸っているだけ、本を買ってきてそれで満ちたりた気分になっているだけ、机の上に本をただ並べているだけ、ツン読……夕食時に、やりきれなくなり「行く場所がないんだ!」と腹立たしくぶちまけた。言っても仕方のない相手に。私にとり今やる必要のあること、それは何をすべきか考えること、ただそれだけである。大学はどうなるのだろう。自分はどうすればよいのか。

 

[#地から1字上げ](同上)

 

「樹」

 

仕方のないことだ

枝を張らない自我なんて、ない

しかも人は、生きるために歩き回る樹

互いに刃をまじえぬ筈がない

 

枝の繁茂しすぎた山野の樹は

風の力を借りて梢を激しく打ち合わせ

密生した枝を払い落とす――と

庭師の語るのを聞いたことがある

 

[#地から1字上げ](吉野弘

 

「雪」

 

雪はひとたび ふりはじめると

あとからあとから ふりつづく

雪の汚れを かくすため 

 

[#地から1字上げ](吉野弘

 

「楽観主義」

 

何をいっそう際立たせるつもりだろうか

誰に問いかけるでもない、思いのために

 

黒田三郎

 

インドネシア語では散歩のことを

何とかかんとかと云うらしいが

その意味は「風を食う」

 

インドネシアとは、

戦時中、黒田が勤務する

会社のあった外国の土地である

 

それから何十年か経って

彼は散歩の途中に、その

ネイティブ・ランゲッジが口をつく

 

とはいえ、現在、彼が歩くのは

ビルも、家も、通りも、すべて

記憶を持たない街なのだと云う

 

本書は、このような緊急の問題や難問にたいして解答を与えようとするものではない。むしろ、このような解答は、日々与えられている。それは実践的な政治にかんする事柄であり、多数者の同意に属するものである。つまり、この解答をただ一人の人間の理論的考察や意見の中に求めることはできないし、ただ一つの解答しかありえないかのように問題を取り扱ってはならないのである。これから私がやろうとしているのは、私たちの最も新しい経験と最も現代的な不安を背景にして、人間の条件を再検討することである。これは明らかに思考が引き受ける仕事である。ところが思考欠如(ソートレスネス)――思慮の足りない不注意、絶望的な混乱、陳腐で空虚になった「諸真理」の自己満足的な繰り返し――こそ、私たちの時代の明白な特徴の一つのように思われる。そこで私が企てているのは大変単純なことである。すなわち、それは私たちが行っていることを考えること以上のものではない。

 

[#地から1字上げ](ハンナ・アレント、『人間の条件』、八頁)

 

「反復」

 

これは明らかに思考が引き受ける仕事である。ところが思考欠如(ソートレスネス)――思慮の足りない不注意、絶望的な混乱、陳腐で空虚になった「諸真理」の自己満足的な繰り返し――こそ、私たちの時代の明白な特徴の一つのように思われる。

 

「雪」

 

こうなったらもうあとへ引けないのだな

きのう雪が降った

はちきれんばかりの白い粒片が

風に酔ってはしゃぎまわっていた

純白の幼き若き子供達よ

ぶつかりあい飛びちり一心に舞うおまえ

 

[#地から1字上げ](二月四日)

 

お人好しのわれわれは『二十歳の原点』を捨てられないのだ。高野さんも、日本人も、アレントの云う労働(labor)と仕事(work)の区別が出来ていない。厳しい砂漠の思考には耐えられない。じゃあ、失礼します。