「中村に告ぐ」
今や三百万部の読者が中村を恨んでいるこの状況に果たして中村は耐えられるのでありましょうか。中村は何処だ。中村は何処にいる。探せ、探せ、中村を探せ。出て来い、中村。中村、中村、お前たちに罪はない。
[#地から1字上げ](おーい、中村君)
闘争というものが、どんなものだかよくわからないが、しかし闘わなければ人間は資本家にすべてを支配されるのだ(考えることも味わうことも知ることも、行動することも)闘いの軌跡がいかに微々たるものであろうと、そこには人間の軌跡が描かれていることに誇りをもつことができるのだ。
醜い人間は美を求めることができるのだ。
[#地から1字上げ](五月十一日)
今宵月は茗荷を食い過ぎている。
[#地から1字上げ](中原中也)
「塔」
沈黙するためには、ことばが必要である。断絶するまえに拒絶せよ。もし私が何ごとかに賭けなければならないのであれば、私は人間の〈やさしさ〉にこそ賭ける。
[#地から1字上げ](石原吉郎)
塔が塔であるかぎり、それはいつも未完である。
[#地から1字上げ](マグダ・レベツ・アレクサンダー)
「練習1」
敵を恐れるな――やつらは君を殺すのが関の山だ。
友を恐れるな――やつらは君を裏切るのが関の山だ。
無関心なひとびとを恐れよ――やつらは殺しも裏切りもしない。だが、やつらの沈黙という承認があればこそ、この世には虐殺と裏切りが横行するのだ。
[#地から1字上げ]ヤセンスキイ『無関心なひとびとの共謀』(9・11)
[#地から1字上げ](石原吉郎『望郷と海』、一九五六年のノートから)
「練習2」
今、これをもう一度読もうと思い立ったのは、いわば一つの思いつきではあるが、しかしそれでも、私の内部に"Nimm und lies!"(取りて読め)とささやく何かがあることを否定できないような気がする。(8・22)
[#地から1字上げ](石原吉郎『望郷と海』、一九五六年のノートから)
「人間の条件」
この石原という詩人は高野さんを救うことが出来なかったのですよ。
もし彼女が救済を望んでいたら――という条件があれば、でしょう。
「博多屋台」(出家への道)
先生、誰も救えないことを知れと。
諸君、無常だなあ。
「THE ROSE」(BETTE MIDLER)
Some say love, it is a river
That drowns the tender reed
誰かが言った、愛とは流れるものだ
やさしい葦を押し流す
誰かが言った、愛とは切られるものだ
パンと魂とを腑分けする
誰かが言った、愛とは渇くものだろう
永久にして充たされない
私は思う、愛とは花咲くもので
あなた、果実でもあり種なのだ
「博多屋台」(解題)
先生、高野さんは天国で中村と結ばれているのですか。
諸君、ありえない、シナリオでもない、だろうかなあ。
存心館の破壊ぶりはものすごい。放水によって部屋は水浸しで、女子トイレもドアは無くなり便器と手洗いも投石用にすべてこわされ、教室という教室すべて、机、椅子が全くなくガランとしたコンクリートの壁には落書きがしてある。しかし私にとって、学生にとって、机が椅子が、黒板が何であったのか、すべて擬制に過ぎなかったのではないか。私は自らその行動を起そうとは思わないが、あれを見て全共闘を暴力集団呼ばわりすることはできない。私は自分でバリケードを築くことはしない。ただ築かれたバリケードの中に、自らの内なるバリケードをみるのである。
[#地から1字上げ](二月二十日)
あの図書館から静かなキャンパスを見下ろし、全共闘の姿のない平穏なキャンパスを見て私は、私一人でも試験をボイコットしようと思ったのである。独りになったのである。独りであることを忘れていた。私はガラーンとした存心館の四四号教室をみて、そこは一年前には哲学の講義が行われたところだが、それは擬制に過ぎなかったと思った。私にとってその擬制は何であったのか、また何であるのか。全共闘にとってでなく、私にとって、それは何であったのか。/自分に自信をもたぬという生来の弱さの隙間に、アットいう間に何かが入りこんで、どうしようもなくガンジがらめにしてしまう。自分を信ずることなくして一体何ができるのか。/今「反逆のバリケード」を読んでいる。
[#地から1字上げ](二月二十二日)
「竿頭子羊」(八月十一日)
それでは昨日、中村氏にデートする彼女がいることを感じ、鈴木に対して訣別したあと、中村氏との訣別を行なったのは何故か。まずすべての期待を中村氏の幻想に求めていた。ところが、中村氏にはデートをしている彼女がいた。といったところで私はそれによって私自身の二十七日における醜い姿を知らされただけだ。
[#地から1字上げ](五月四日)
二十七日、中村氏と呑みに出かける以前と以後では、私との繋がりにおける鈴木と中村氏との関係はお互いに逆転していたということが確認点の一つ。それはスナックで中村氏と一緒に話し、一夜を飲みあかすことにより生れてきた。それなら、何故鈴木でなく中村氏とスナックに行ったのか。単なる偶然か、鈴木に対する幻想を中村氏に投影しただけなのか。その前に、同時に二人を好きになるということはあり得ないのか。この言いかたは自己のエゴイズムを合理化し隠蔽する卑劣ないいかただ。
[#地から1字上げ](同上)
「博多屋台」(立命題)
NHKラジオ「朗読の時間」が流れている 問題をこうたてよう。私の恋愛に対する幻想はスナックにいく以前、鈴木に対する幻想としてあったのだ。が、以後逆転したのは、単なる火遊び的な関係をもったというところにあるのか、それとも中村氏自身のパーソナリティにあるのかということだ。あのとき、ジャズについて、クラシックについて話し、活動について、闘争について話し……。今ここに断言しよう。中村氏のパーソナリティにあることを(これは非常にごうまんな言い方。恋愛においてより強く相互のエゴイズムが働くのだから)いや、やはり違う。彼のパーソナリティを含めた関係にあったのだ。
[#地から1字上げ](五月四日)
ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか、と訊《き》こうとして、それではあんまり出し抜《ぬ》けだから、どうしようかと考えて振《ふ》り返《かえ》って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居《い》ませんでした。
[#地から1字上げ](銀河鉄道の夜)
「二十歳の原点」(夢見る乙女)
独りでいるのはさびしい。恋人が欲しい。メイン・ダイニング・ルームに仏人のベルレー(注 映画俳優)に似た人がいた。白のワイシャツに紺の背広、グレーのだぶつきかげんのずぼん。カメラのシャッターをおしていた。淡泊な、ものうげな落ち着かなさをのぞかせる顔。きまじめでどことなくぎごちなさを感じさせる動き。やさしさ、人間を愛さずにはいられないというやさしい心。彼の深部に何があるのかわからぬが、あのやさしさを心いっぱいうけたいなあと思う。
[#地から1字上げ](三月十五日)
大体、私の恋人像ははっきりしてきた。ベルレーのような人。まじめ、誠実、やさしさあふれる愛情のある人。全然ハッキリシナイノオー。
[#地から1字上げ](三月十六日(日))
人間って一体何なのか。生きるってどういうことなのか。生きること生活すること、私はどのように生きていくのか、あるいは死ぬのか。今、私は毎日毎日広小路で講義を受けるがごとくアルバイトに通い働いているのだが。
[#地から1字上げ](三月十六日)
「牛」(テイク1)
牛が水を飲んでいる。大きな顔をバケツの中につっこんで、ごくごくごく、がぶがぶ、でっかいはらを波打たせて、ひと息に飲んでしまった。
「牛」(テイク2)
牛が水を飲んでいる。
大きな顔を
バケツの中につっこんで、
ごくごくごく、
がぶがぶ、
でっかいはらを波打たせて、
ひと息に飲んでしまった。
一、ラジオで聴けば、T1もT2も、区別は付かない。よって、文章の優劣はない。
二、文章に視覚的効果を測るとすれば、T1とT2では、明らかに景色が異なる。
三、スケッチあるいは写真を例にとれば、T1は写真の説明であり、T2は写真そのものである。
四、詩は散文ではないと仮定すれば、T1は散文に近く、T2は散文からは遠い。
五、よくなったかどうかはともかく、T1を改行することで、T2は詩に近くなったと言うことは可能である。
六、歩行と舞踏。(ヴァレリー)
「T2・雪」
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
「T1・雪」
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
「S(サンプル)1・林と思想」
そら ね ごらん
むこうに霧にぬれている
蕈《きのこ》のかたちのちいさな林があるだろう
あすこのとこへ
わたしのかんがえが
ずいぶんはやく流れて行って
みんな
溶け込んでいるのだよ
ここいらはふきの花でいっぱいだ
「T2・雪」と「T1・雪」の違いがわかり、かつ、「S1・林と思想」を詩であると認める人であれば、小学生の「牛・T2」が詩であることは理解可能である。
「牛・T3」(添削)
牛が水を飲んでいる
大きな顔を
バケツの中につっこんで
ごくごくごく
がぶがぶ
でっかいはらを波打たせ
牛がひと息に飲んでいる
「政策」
恋は着せ、愛は脱がせる――
そんな上手いコピーがあった
こんな文句だって何と訳そうか
愛は、飾ることはできないの意
愛は、所詮、隠せないの意
愛は、時に、大胆にさせるの意
おじさんは裸にするしか
浮かばなかったから
キミの意見が眩しいです
「木遣り」
ジャズには何故ひかれるのだろうか。ビートは心臓から送られるビート、指の先から関節の間を流れる血のリズム。私は聞いていてふと思った。私の体の中心はどこにあるのかと。頭かしら心臓かしら、それとも下腹部かしらと。中心がわかればテンデンバラバラな私の体は調子よくビートにのるのにと思う。
[#地から1字上げ](三月十一日(火))
九時、店を出て恒心館に行った。渡辺がもしやいたらというか細い幻想をいだいて。全共闘の門番が焚火をしていた。あの人たちは疲れているようであった。寒い吹きさらしのなかでジャムパンをかじっていた。
[#地から1字上げ](ET)
今の私は行きずりに話を交わして過ぎて行く人が唯一の友である。
[#地から1字上げ](二十歳の原点)