地獄の一季節

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村上春樹の作品に教材としての価値はあるのか。私の答えは次のようなものである。

 

およそ世界の成り立ち方と人間のありようについてなにごとかを記した文章で教材として有用でないものは存在しない。そして、世界の成り立ち方と人間のありようについてのもっとも真摯な問いは「世界の秩序が崩壊したとき、人間はどう生き延びるのか」というかたちをとるのである。

 

[#地から1字上げ](教室における村上春樹内田樹、五頁)

[#地から1字上げ](教室の中の村上春樹ひつじ書房、2011年)

 

どうもこの『自家製文章読本』は、毎章、型が定《き》まってきたようである。三島由紀夫の『文章読本』の一節をまず枕に振って、そこから話の筋を、批判的に、悪くいえば揚げ足とりの戦法をもって、展開するということが多くなってきた。これはそれだけ三島読本がすぐれているということにはならない。立派な文章読本だから、それを手がかり足がかりにということではないのである。三島読本の隅ずみにまで立ち籠めている大衆小説・娯楽小説・読物小説の書き手たちへの意味もない蔑視が、読むたびにこっちをいらいらさせるのだ。そこでつい三島読本に突っかかって行ってしまうのである。ときには売り言葉に買い言葉で不遜にも、「この程度の修業でよく小説なぞ書けていたものだな」と思うことがあるが、これはじつは褒め言葉でもある。あの程度の修業で、あれだけ書ければ大したものだ。やはり相当の才能の持主にちがいない。いずれにせよ、毎回、話の糸口を恵んでくれる三島読本には、「ありがとう」を何万遍でも申しあげなければならない。

 

今回の話の糸口も、その三島読本のオノマトペについての次の記述である。

 

[#地から1字上げ](オノマトペ、九二頁)

[#地から1字上げ](井上ひさし、自家製文章読本、新潮社、1984年)

 

急げ……

何もない

だが、ここだ

そうよね

信号が来てるんだから

 

[#地から1字上げ](インターステラー

 

僕が小説を書くときに訪れる場所は、僕自身の内部に存在している場所です。それをとりあえず「異界」と呼ぶこともあります。それは現実に僕が生きているこの地表の世界とは、また別な世界です。普通の人は夢を見るときに、しばしばそこを訪れます。僕は――というか物語を語るものはと言ってもいいのでしょうが――そこを目覚めた意識のまま訪れます。そしてその世界について描写します。だからそれは外部にある「異界」ではありません。あくまで内的な「異界」です。異界という言い方が誤解を招くなら、率直に「深層意識」と言ってもいいかもしれません(ちょっとだけ違うんですが)。どうすればそこにアクセスできるか? 僕にはわかりません。瞑想の訓練みたいなものである程度可能になるかもしれませんが、妙な思想が絡んでくると危険なこともありますので、くれぐれも気をつけてくださいね。マジックにはホワイト・マジックとブラック・マジックがあります。違いに留意してください。

 

[#地から1字上げ](196・「異界」へのアクセス)

[#地から1字上げ](村上さんのところ、新潮社、2015年)

 

小説には、後からじわじわきいてくるものがある。村上春樹の「象の消滅」を読んだ時、最初、私には意味がよくわからなかった。数か月後、この象というのはわれわれの日本のことだとわかった。そして、この飼育係の一人は大岡昇平だと思った。今の日本人は1931年から1945年のあの戦争をまったく忘れて生きている。戦後、それを死ぬまで忘れまいとして、絶えず国民に思い出させようとした一人が大岡昇平であった。

 

[#地から1字上げ](鶴見俊輔、象の消えた動物園、編集工房ノア、2011年)

 

「どんな授業だったの? どんな風にしてこんな教師になったんだと思う? いつも何を食べていたの? 危険はないのかしら?」、そんな風なことだ。

 

[#地から1字上げ](「教室の中」の「象の消滅」、五三頁)

[#地から1字上げ](村上春樹全作品8、講談社、1991年)

 

加藤は、「象」「象の消滅」が「何を表象しているのか」と問い、それは「戦後の日米関係における日本それ自体」であり、「作者は、何か戦後的なものの失踪・消滅を暗示しようとしたのではないか」と論じる。

 

また「僕」と「彼女」の年齢差に着目、「僕」にとっては「喪失」であるものが「彼女」にとっては「欠落」になってしまっており、「ここで消滅とは、消滅が見えないこと、「ないこと」がないことを意味している」とし、「それに気づく人間を孤独にする」と指摘する。

 

主題として「戦後的なもの」の喪失を見る感覚にアクチュアリティは感じるが、それはあくまで「寓意」の一つにしか過ぎない。加藤もまた「了解不能」の事態を、「了解可能」なものへと回収する「新聞」「メディア」と同様の問題に入ってしまうという隘路、実体論に陥ってしまっている。

 

[#地から1字上げ](二、先行研究をめぐって――『象の消滅』の読まれ方、七八頁)

[#地から1字上げ](〈主体〉への希求――村上春樹象の消滅』論、齋藤知也)

[#地から1字上げ](〈教室〉の中の村上春樹ひつじ書房、2011年)

 

勿論、授業で読む際にも、「象が消えるとはどういうことか」を一つの寓意として読み、語る生徒が出てくる。

 

それ自体は単純に否定すべきではない。

 

しかし、ある寓意として読んだときにこぼれ落ちてしまうものに自覚的であるかどうか、問題はむしろ、一つの寓意として実体化できないところにあるということに行き着けるかどうかが、重要なのである。

 

[#地から1字上げ](二、先行研究をめぐって――『象の消滅』の読まれ方、七九頁)

[#地から1字上げ](〈主体〉への希求――村上春樹象の消滅』論、齋藤知也)

[#地から1字上げ](〈教室〉の中の村上春樹ひつじ書房、2011年)

 

……、いま振り返ってみると授業者である私に、「物語」の中に表れている「僕」と、その物語を「冬も近くなってから語っている」(現在の)「僕」を峻別して考える視点が不足していたため、生徒たちの発言や作品論を十分に生かすことができていなかったと思う。

 

[#地から1字上げ](四、〈語り〉の構造をめぐって、八三頁)

[#地から1字上げ](〈主体〉への希求――村上春樹象の消滅』論、齋藤知也)

[#地から1字上げ](〈教室〉の中の村上春樹ひつじ書房、2011年)

 

私自身は、「僕」が作品内読者(聞き手)に対して、「象の消滅」事件とその話をしようとした「彼女」とのやりとりを、その「失敗」もふくめて、「記憶」が「暗く深い海へと運ばれていく」ことに抗い、しかも「物語化」と対峙しつつ語ろうとしていることに、共感を覚えるのだ。

 

[#地から1字上げ](六、「語る現在」の「僕」の痛みあるいは〈主体〉への希求、九一頁)

[#地から1字上げ](〈主体〉への希求――村上春樹象の消滅』論、齋藤知也)

[#地から1字上げ](〈教室〉の中の村上春樹ひつじ書房、2011年)

 

大前提 ヒ素は自然界にも存在する。

小前提 トリチウムは自然界にも存在する。

結論  だから、ヒ素トリチウムも人体には安全である。

 

[#地から1字上げ](朝まで生テレビ・核物理学者)

 

総理、福島原発の処理水は、最後の一滴になるまで、あと何万年くらいかかりますか。

 

岸田総理 私は日本人を信じる!

 

[#地から1字上げ](チャットGPT)

[#地から1字上げ](フィッシング詐欺を自動判別)

[#地から1字上げ](NHKニュース7、2023年7月5日)

 

「問題というほど大げさなものじゃないよ」と僕は言った。「ほんの些細なことなんだ。べつに人に隠しているわけじゃなくて、うまく話せるかどうか自信がないんで話さないだけのことなんだ。変わっているといえば、たしかにちょっと変わった話だからね」

 

「どんな風に?」

 

僕はあきらめてウィスキーをひとくち飲み、それから話しはじめた。

 

「ひとつ気になるのは、僕がその消えた象のおそらく最後の目撃者だっていうことなんだ。僕が象を見たのは五月十七日の午後の七時過ぎで、象がいなくなっているのがわかったのが翌日の昼すぎ、そのあいだに象の姿を見た人は一人もいないんだ。夕方の六時には象舎の扉は閉められてしまうからね」

 

「話の筋がよくわからないんだけれど」と彼女は僕の目をのぞきこみながら言った。「象舎の扉が閉められてしまったのに、あなたはどうして象を見ることができたの?」

 

「象舎の裏には殆んど崖のようになった小さな山があるんだ。誰かの持ち山で、道らしい道もついていないけれど、そこに一ヶ所だけ裏側から象舎の中をのぞきこめるポイントがあるんだ。そんなことを知っているのは僕くらいだろうけれどね」

 

[#地から1字上げ](象の消滅、五五頁)

[#地から1字上げ](村上春樹全作品8、講談社、1991年)

 

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モンチッチに花笠祭りのコラボとしての価値はあるのか。私の答えは次のようなものである。

 

およそ世界の成り立ち方と人間のありようについてなにごとかを記したモンチッチでイベントとして有用でないものは存在しない。そして、世界の成り立ち方と人間のありようについてのもっとも真摯な問いは「世界の秩序が崩壊したとき、人間はどう生き延びるのか」という究極のレトロ政策(モンチッチ)をとるのである。

 

[#地から1字上げ](国会における村上春樹内田樹

[#地から1字上げ](維新の馬場代表はサル発言、謝罪も撤回もせず)

[#地から1字上げ](教室の中の村上春樹ひつじ書房、2011年)