愛子さまトーク(13巻)

47歳女性歌手、

政治に無関心な俳優の発言に「どれほど恥知らずなんだろう」

 

シンガー・ソングライター柴田淳(47)が7日、X(旧ツイッター)を更新。政治に無関心な俳優笠松将(31)の発言を受け、私見を述べた。

 

6日に放送されたフジテレビ系「ワイドナショー」では1日に発足した石破内閣について取り上げた。出演した笠松は「僕は政治は全く詳しくない」と告白。新内閣の人事やポジションについて「目的がずれているというか。良い場所にいるための話し合いであって、へぇ~って感じ」と笑い、「知らない漫画の13巻から出てきたキャラクターたちがこんなのやってるけど、誰だ? っていう。もちろん、知ってますよね、皆さんは。僕はちょっと勉強不足で…」と率直に明かした。

 

フリーアナウンサー豊崎由里絵は「おっしゃることはわかりますけど、この後、選挙あるので。この人が今後どういうことを計画していることを見ておかないと、選挙行動に結びつかない」と説明するも、笠松は「でも、何か良くなったか、悪くなったかっていった時、よくなってないが何年も続いているわけですよね。もちろん良くなっているところもある。じゃあ見てても見てなくてもそうなるんだったら。他のことやった方が、と思ってしまう」と政治に関心が薄いことを明かした。

 

その後も笠松は、「結局、入れたい人に入れたって、やってくれないでしょ。期限も決まってなし、言いたい放題だし、誰になっても同じだし、ぶっちゃけ誰になっても同じ」と持論を展開していた。

 

柴田は笠松の発言を受け、「やば過ぎますね。どれほど恥知らずなんだろう」とバッサリ。「これも目先のお金ばかりで、教育を軽んじた結果かと思う」とつづった。

 

[#地から1字上げ](日刊スポーツ新聞社によるストーリー)

 

 

憲法九条のリアリティは自衛隊に支えられており、自衛隊の正統性は憲法九条の「封印」によって担保されている。憲法九条と自衛隊がリアルに拮抗している限り、日本は世界でも例外的に安全な国でいられると私は信じている。私はこれらの症状を「根治」しなければならないとは考えない。私たちが手に入れることができるのは「根治」ではなく、せいぜい「症状の寛解」である。ただ、私たちは戦後日本の始点に置かれた「解離ソリューション」と、これを病むことによって疾病利得を得てきたという事実をもう意識化してもよい時期に来たのではないかと思う。

 

[#地から1字上げ](内田樹、縮約)

 

「不肖加藤典洋、寂聴庵へ走る」

 

以上、筆者が書いたことは、筆者にとって戦後が意味のないものになったということではない。ただ、以後、筆者にとって「戦後」は、人に訴えるモラルの位置から、自分だけの信奉の対象であるマクシムの位置に移る。戦争の死者の場所から考える、という筆者のモラル・バックボーンは、ふつうの人の場所から考える、という思想のオーソドクシーの場所に引き継がれる。戦争の死者たちの場所から考えることは、筆者個人にとって、大事なことだが、それと同じことを現在の若い人々に求めようとは思わない。

 

[#地から1字上げ](〇七年六月号、一四三頁)

 

「2007年の加藤御大」

 

もし、誰にでも適用されるべきルール、モラルに立つ言葉、通常の意味での思想の言葉として語られるなら、それはオーソドクシーを欠いている。というのも、「左翼」の何たるかを知らず、カルチュラル・スタディーズフェミニズム思想の「知」から遠く、さらに「戦後」のイロハを知らないままでも、人は、大丈夫、ひと通りのヒューマニズムと柔らかな感性さえあれば、この世の中の自分に関係するものごとを、しっかり考えられる、という、みちすじを示すことが、二〇〇七年現時点での、思想のオーソドクシーであるはずだからである。

 

[#地から1字上げ](戦後から遠く離れて――わたしの憲法九条論)

[#地から1字上げ](さよなら、ゴジラたち、一三二頁)

 

「ボクから寺田ちひろちゃんへ」(御大語録)

 

当時メディア上で優勢だったのは、戦争体験とそれに引き続く戦後をいかに風化させないか、という議論である。戦争体験と戦後を後代の人間にどう「伝えるか」。しかしこの設問は、つねに「伝える」主体、つまり戦争経験者、戦後の担い手たちの側から発せられてきた。そのような人々は以後、遠からず、この世を去っていく。したがってこの問いが生き延びるには、これを「受けとる」主体を主語にした、どう「受けとる」か、というものに変換しなければならないが、そのためには一度、「伝える」主体の手にある「戦後」に、死んでもらわなければならない。沈黙交易におけるように、「伝える」側が、それを彼らのイニシアティブで「手渡す」のではなく、一度「伝える」ことを断念して、「手放す」。大地の上に置く。もし、それが「受けとる」に値するものであると判断されれば、それは、何者かに「受けとられる」だろうが、そこには、「受けとられる」ものの意味の変換が伴うはずである。「伝えよう」としたものは伝わらないかもしれないが、「伝えよう」とはしなかった形で、更新されつつ、それが、「受けとられる」。「一粒の麦、もし地に落ちて死なずば一粒のままにあらん。死なば多くの実を結ぶべし」。いまでも、たとえばある種のアプリケーションの新しいヴァージョンをパソコンにインストールしようとすると、以前のヴァージョンをアンインストールしないとうまくインストールができません、という表示が出たりする。ものごとの継承には――これを縮小再生産に終わらせまいとすれば――こうした切断の契機が必須である。それが、「伝える」主体から「受けとる」主体への、客体ではなく主体から見た、バトンタッチの要諦なのではないだろうか。

 

[#地から1字上げ](同上、一〇一頁)

 

「綾の鼓」

 

三島 同じじゃないですか、御大の現在の心境は。小林秀雄本居宣長に託して言った、日本人の生き方と、全く同じじゃないですか。ガハハハ。

 

加藤 天皇陛下、バンザーイ!

 

トカトントン再説」

 

戦争の死者の場所から考える、という筆者のモラル・バックボーンは、ふつうの人の場所から考える、という思想のオーソドクシーの場所に引き継がれる。戦争の死者たちの場所から考えることは、筆者個人にとって、大事なことだが、それと同じことを現在の若い人々に求めようとは思わない。

 

[#地から1字上げ](加藤御大)

 

拝復。気取った苦悩ですね。ぼくは、あまり同乗してはいないのですよ。なぜならば、ぼくは、御大のそれは現在の若い人々に求めてもいいと思っているからです。要は、御大が分けて言うような「戦争の死者の場所から考える」と「ふつうの人の場所から考える」場所がイコールになる「問い」を問えばいいのであって、「キミたちは、彼ら(=われわれ)のように死にたいか」という、「彼ら」からと「われわれ」からの呼びかけが重なり合い同調する理由に共鳴する場合、その問いに対する応答は思考するものとして有効に機能を始めるのだろうと思われるのです。昨日、NHKのラジオニュースで俳優の池部良さんが亡くなった報を聞きました。92歳であったそうですが、彼の経歴には、この世代のご多分に漏れず、太平洋戦争時代の兵役が含まれています。どうして「ふつうの役者」が本物の銃を持って戦争に狩り出されなければならないのか。戦争をやりたい人間は職業軍人になればいい、戦争は彼らの業界だけでやればいい、どうして「ふつうの人」を殺し合いに巻き込む必要があるのだろうか。オーソドクシー? ぼくは、これ以上、訳の分らない日本語を増やしてもらいたくはないのです。御大、ご不快でしょうか。ご不快でも、しのんでいただきます。まもなく、戦後の大きな幻想、高度な犠牲が逝くでしょう。そして、御大、おそらくはあなたも彼らに続く小さな共同体です。けれども、いまの世の中で、一番美しい、犠牲者のお一人でしょう。来年、プレマップの上條倫子アナウンサーも二十七歳でしょう。ただ、一さいは過ぎて行きます。

 

M・C モン、チッチ。

 

「泣きましたか?」

「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああなっては、もう駄目ね」

 

「笑劇の誕生」

 

三隅研次監督の映画『大魔神怒る』は、誰が観ても、それ以上誤解の仕様がない、大真面目な勧善懲悪の物語であり、制作者自身、間違いなくそれを意図して大真面目に作っているのだが、なぜか、今観ると、大笑いしてしまうのである。おそらく、画面のどこを探しても、観客を笑わせようという筋書きは一つも無いだろう。さらには、この映画を観て笑うなどということは、こちらの邪心の現われであり、不謹慎とさえ思われかねない。それほどまでに、三隅監督をはじめ、スタッフや出演者のこの物語(=脚本)に対する思いは純粋なのである。さて、作品の意図はともかく、これはいい映画である。今までは、古い特撮ものだと思って観ること自体を敬遠していたが、食わず嫌いであっただけだったのかもしれない。

 

 

「もう二年ばかり待《ま》ってくれ、おれも死《し》ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残《のこ》した仕《し》事《ごと》もあるしただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから、毛皮も胃《い》袋《ぶくろ》もやってしまうから。」

 

小十郎は変《へん》な気がしてじっと考えて立ってしまいました。熊はそのひまに足うらを全《ぜん》体《たい》地《じ》面《めん》につけてごくゆっくりと歩き出した。小十郎はやっぱりぼんやり立っていた。熊はもう小十郎がいきなりうしろから鉄《てつ》砲《ぽう》を射《う》ったり決《けつ》してしないことがよくわかってるという風でうしろも見ないでゆっくりゆっくり歩いて行った。……

 

丁度二年目だしあの熊がやって来るかと少し心《しん》配《ぱい》するようにしていたときでしたから小十郎はどきっとしてしまいました。そばに寄《よ》って見ましたらちゃんとあのこの前の熊が口からいっぱいに血《ち》を吐《は》いて倒れていた。小十郎は思わず拝《おが》むようにした。

 

 

日本では熊でさえ言葉を話し、命と引き換えにした約束を果たすというのに、今までこの国の政治家は何をやって来たのか。

 

 

松岡さん、お願いします

私が?

あなただって、もう立派な祟り神だ

いや、私なんか。まだまだ若葉マークです

もっと上がいるのですか?

詰っていますよ。ここも自民党と同じです

順送り人事?

必ずしも当選回数と恨みの深さは比例していませんがね

で、次は誰なのです?

党首ですか、首吊りですか?

もちろん、党首ですよ

興味ありませんね、もはや政治のことなど

ははん。もう懲りた、大臣までやったから?

フフフ

あれ、お弟子さんですか?

ああ、あれ?マンションからね、飛んだ人

えい、やあ、とう?

まあ、そんな話は、よとうじゃありませんか

オヤジ・ギャグですが、あなたが言うと――

法律には従って処理しています

松岡さん、そんな水臭いことを

 

 

先生、好きですよねえ、こういうの。

諸君、47歳。ちょっと若い時の草野満代に似てるかな。

 

AMK「この投稿どうなん?」

FCH「あ、すみません、その話はごめんなさい。」

FHK「はっきり言って、小池百合子はいい女だよ」

 

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