怜悧な謝罪と功利な謝罪

安倍総理は、かつて、終戦の日の談話に関して、われわれ日本人はこれ以上謝罪はしない、少なくとも、われわれの孫子には謝罪を繰り返させないという旨の発言をしたと記憶する。その後、歴代の総理が、どのように彼の談話の意志を継承したか、寡聞にして我々は知らないが、今回は、謝罪についての一般論を記述する。

 

第一に、謝罪とは、相手のある問題であり、その相手が許さない限り、その行為には終わりはない。

 

第二に、戦争責任という国家の謝罪に関して、国家の代表者が、毎年、謝罪を表明するということは、ある意味、一人の代表者が謝罪を代弁(引責)することで、外国人に対し、その期間だけは、一人一人の国民は責任を問われない担保を付与するという儀式ではあるまいか。

 

何が言いたいのかと申しますと、具体的には、終戦の日に国家の代表者が謝罪をしている限り、修学旅行で韓国や中国の先の戦争の歴史資料館を訪れた日本の中学生や高校生は現地で集団謝罪をする必要はない、本土にいる一人一人の国民も、その期間だけは、別に罪悪感(原罪)を抱える(覚える)必要はない、これが謝罪の功利主義における歴史の法則だから、というものである。

 

[#地から1字上げ](つづく)

 

 

外国に対して使用できない核兵器はやがてイリュージョンになる。さりとて、自国民に向かって投下することも出来ず。

 

[#地から1字上げ](三島由紀夫

 

「読書日記・十月八日(金)」

 

好きではない人から告白された時、自分の気持に正直になるのはいいとして、では、相手の正直な気持はどこへ行ってしまうのか。これが綿矢りさの新刊のテーマであった。普通はそれを失恋と呼ぶのだが、無から社会問題を創造する小説家にとっては、失恋を失恋のままで終わらせることは、鼻から無理な相談なのだろう。そして、話題は胸ポチへと移行する。アマゾンの書評を読む限り、二十六歳という設定の割には主人公の思考が幼稚過ぎるという意見が多い。綿矢氏本人は、現代は、一番好きな人と結婚しないと幸せになれないという理論が発達し(過ぎて)ていると、NHKのインタヴューでは答えていた。

 

[#地から1字上げ]平成22年10月9日(土)

 

人は、なぜ世界を引き受けるのでしょうか。その起点に人間の無実性を見るか、原罪性を見るか、その違いは微細なものです。微細だけれどもその違いは決定的です。

 

[#地から1字上げ](加藤典洋

 

イノセンスの壊れるとき・加藤典洋」(要約)

 

イノセンスとは何か。辞書では、無垢とか、潔白、無罪と書いてある。けれども、これは、自分にはよくわからないものである。芹沢俊介氏は、その著書『現代〈子ども〉暴力論』(一九九七)の中で、イノセンスというものを次のように定義している。「ここでは、ある事態――多くの場合窮地ですが――に立ちいたった時に人が発する言葉、取る行為に照応して出現する心のあり方、心的場所のひとつと考えます。その言葉、行為が発しているのは「自分には責任がない」(あるいは「このままのかたちでは現実を引き受けられない」)というメッセージです」。そして、芹沢氏は、人間の成熟ということに関して、このメッセージを、「オレには関係がないよ」ということから、「自分には責任がある」(関係がある)というメッセージに自分の手で「書き換える」こと、「転換してゆくこと」だと言う。

 

[#地から1字上げ](「戦後を戦後以後、考える」、『さよなら、ゴジラたち』所収、六〇頁)

 

「加藤御大のお言葉」(一九九七年)

 

僕は「オレには関係がない」ということには権利があるのだと『敗戦後論』で書きました。一方で、高市早苗・国会議員は「自分は戦後生まれだから戦争責任はない」と言っているようです。けれども、この二つの「責任なし」発言の違いは誰が読んでも明晰にして判明です。この高市議員の発言は完全に無効です。……では、高市氏の「自分には関係ない」という発言と今の若い人の「自分には関係ない」という発語と一体どこが違うのですか。

 

質問者 御大は「発言」と「発語」を微妙に使い分けているが、そこには何か意味があるのか。

 

いまの若い人の「自分には関係ない」は、自分には無実の場所があるはずだ、自分はそこから自分のイニシアティブで世界を引き受けたい、という、あのゆみちゃんの「幻の親物語」と似た動機に立つイノセンスの発語です。彼らはそこを起点にして、はじめて世界を引き受けるところに進む、というのが僕の言っていることです。しかし高市議員の「自分には関係ない」は、自分は世界を引き受けるが、戦前については知らない。戦後の部分についてだけそうする。そして、そのことについて自分にはそうする権利がある、ということにほかなりません。

 

[#地から1字上げ](同上、七二頁、要約)

 

高市早苗氏の発言について・加藤典洋

 

でも、この高市議員の考え方は、思想以前に、社会思想それ自体の成り立ちを否定する初歩的な無定見を含んでいます。この発言は僕に言わせると内容が保守的だということが問題なのではなくて、内容が近代社会の基盤の前提を踏まえていないことが問題なのです。……。彼女がものを考えるようになるうえで、あの芹沢さんのいう「イノセンスの表白と解体」はあったのだろうか、というのが、実を言えば僕の率直な疑問なのです。

 

[#地から1字上げ](同上、七三頁)

 

 

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