七月六日(木)

七月六日(木)晴「サイパン絶望的なり」

 

午前鶏の世話をし十時頃外出、溜池の興農公社に寄り、笠原技師に逢う。バターをほしくって来たというと、二ポンドの伝票を出してくれる。定月氏からも二ポンド出してもらい、四ポンド買う。二十二円余である。随分高価だが、杉沢の紹介のおかげで、こうしてバターを買えるのは、ありがたいことだ。バターをこうして買える者は東京に何人もいるとは思われない。闇値では一ポンド二十円というが、三四十円出してもほしい人が多いらしい。

 

この日朝刊にて、我政府は対支新声明を発し、この度の支那における新軍事行動は英米を討つ目的であって、支那人を敢て敵とするものでない旨を宣言した。またサイパンの我軍陣地に敵肉迫して彼我入り乱れて白兵戦をしているという大本営の発表あり。もうこの島の守りは絶望的らしい。とうとうこの島をも守ることが出来なかった。二三日のうちに、また全員玉砕の悲報を見ねばならないかと思うと胸が痛み、あまり考えていることもまた辛い。ああ。敵は更に進んで父島を砲撃している。

 

夜、貞子の話によると祖師谷ではこの頃の畑のものの相場、馬鈴薯が一貫目四円、茄子が四円、胡瓜が三円であり、いずれも昨年秋の倍である。近所の細君たちはいずれも腹を立てて、食わなくてもいいから買わないことにした、と言っている由。しかし食物不足の生活に買わずにいることは出来ない。また冬から春になると、馬鈴薯を買っておけばよかったという嘆声を皆が発するにきまっている。去年あたりは、高くてもこの辺にいれば買えると言って喜んでいたのが、今年はもうその高価を嘆くようになった。朝日新聞の論説でも触れていたが、こうして中流の俸給生活者は生計の困難に直面しているのである。私は峰岸君に麦を一俵と言って頼んであるだけで、この土地のものは買うつもりは無い。うちの馬鈴薯や甘藷や玉蜀黍でどうにかして間に合わせ得るように思っている。しかし鶏は今でも六羽いるが、杉沢から三羽来ると九羽になり、この餌が大変だと思っている。椎の木の間に植えた南瓜はほとんど駄目で、台所に近い二本と、北側の垣根附近の六七本が僅かに物になりそうである。予定の三分の一ぐらいの数しか出来ていないわけだ。こういう作物の不出来は、すぐ食糧を今の高価な闇値で買わねばならぬこととなり、大打撃だ。これから出来るだけ除草に精を出して、作物をよくしなければならぬ。

 

この頃机上の仕事は、この日記を書くのがせい一杯で、原稿らしいもの何も書けない。心配なことである。

 

今日渋谷の古本屋より、いつか頼んだ本見つかったから水曜日頃に来てくれと電話あり。

 

東条内閣が動揺していて、次の候補者は海軍大将末次信正だという。海の決戦がものを言う時故かも知れぬが、いま内閣が変ることぐらい危険なことはないと思う。

 

[#地から1字上げ](伊藤整、太平洋戦争日記(三)、新潮社)

 

 

サイパンの戦いは太平洋戦争中の1944年6月15日から7月9日にかけてサイパン島で行われた、アメリカ軍と日本軍の戦闘。

 

斎藤義次中将が指揮する第43師団を主力とした日本軍が守備するサイパン島に、ホーランド・スミス中将指揮のアメリカ軍第2海兵師団、第4海兵師団、第27歩兵師団が上陸し、戦闘の末に日本軍は全滅した。このサイパンの戦いにともない、海上ではマリアナ沖海戦(6月19日 – 20日)が発生した。

 

[#地から1字上げ](ウィキペディア

 

 

ハニーちゃん!

 

[#地から1字上げ](地元の有権者

[#地から1字上げ](新党わさお・ラストコンサート)