チーム加藤陽子(伊藤整篇)

昭和十九年

 

五月 百田家、古賀司令長官戦死、農事、光生中学勤務

六月 北海道旅行、聯合軍ノルマンディ上陸、米軍サイパン上陸

七月 建物強制取壊し、B29、サイパン陥落

八月 テニアン島、グワム島、学童疎開

九月 食料備蓄、ドイツ危機、雑炊食堂

十月 物々交換、台湾沖海戦、米軍レイテ島上陸

十一月 田原君見舞、中学生勤労動員令、東京夜間空襲

十二月 戦時の市民生活、田原忠武君死去、ミンドロ島

 

 

七月二日(雨)

 

土曜日夕刻、社の帰りに、乗っている電車が蘆花公園の踏切場で買い出しの三十ぐらいの女を轢く。右足首より切断、線路上に横たわっている様、目を蔽うべきものであったが、敵がサイパンより更に小笠原島へと北上し、同時にグワムを砲撃しつつあるこの日頃、空襲があればこういう場面はいくつも出ることなろうと思うと慄然たり。

 

九州爆撃は、新聞で報道されたよりも、ずっと多くの被害であるという巷説がしきりである。幸にして八幡製鉄所は無事であったようだが、波状攻撃で二時間も続いたのだという。しかし、私の考では新聞に出ている空爆の参考として出ている注意書だけでも、随分とその実状を知ることが出来ると思う。家の中の防空壕に入ったまま、家が倒れて何時間も埋められていたという話、硝子の破片の危険な話、そういうことだけでも十分である。山の中のある家で燈火を洩らしたため、そこが先ず爆撃されて、そのあとに続く敵機がつぎつぎとその同じ場所を爆撃したという話など、怖ろしいことである。

 

この頃は学校でも新潮社でも、話が戦争のこととなると、サイパンはどうなるか、敵は小笠原島に取りつくのではないか、いやフィリッピンに向って進み、フィリッピンで大決戦が行われるだろうとか、下手をするともうサイパンは取りかえせないのではないかとかいう話ばかりである。敵は大量の軍艦、大量の飛行機を使い、どんなことをしても決して負けないという絶対安全率を計算した上で攻勢に出ているらしいので、寡勢の我軍は、各個撃破という手段によって敵勢を削ぐことが出来ず、じりじりと退きながら機をうかがっている形のようだ。敵はいよいよ図に乗り、むしろ決戦を求めて深く入って来ているのだ。日露戦の黄海戦も日本海戦もともに我方には、各個撃破の機会であって勝利の公算があった。だが今度はそうは行かないらしい。この形勢を日本人として一人も憂えずにいるものは無いと思う。マリアナ西方の海上での我方の艦隊の一部が敵と戦ったという報道は近時もっとも国民の血を湧かせたものであったが、その実相は全く分らなかった。今日やっとその概観的な報道が新聞に出た。大本営発表によると、敵に決定的打撃を与うるに至らず、とあったが、敵はむしろ我方をその包囲圏に誘引しようとし、我方はそれに乗らなかったので、決定戦とならなかったというのが実相らしい。それにしてもこの報道は概念的で、当らず触らずで形式的で、実につまらない。国の運命が賭されている戦の相を伝えるのに何という形骸だけのつまらぬ文章だろう。もう誰もがいやがっている「敵は小癪にも」というような表現を相かわらずやっているのは、この文が検閲のために駄目になったのではなく、初めから駄目な文章であったという証拠だ。それにつづいて毎日新聞では、私や瀬沼の友の佐倉潤吾君がマドリードから敵の太平洋戦の方策や勢力を報じている。これはさすがによい文章で、この深刻な戦いの相をとらえている、「この機動部隊は絶大な力を持ちその蹂躪下にある」というのは、多分真中辺に「日本艦隊は」という文字があったのが削られたのであろう。そうだ、若し敵の勢力が絶対的に我を圧倒する量を持っていて、どういう風にしても我方がこれと戦えない、戦っても勝つという見込が立たないとしたら、一体どうなるだろう。悪夢のような恐怖を感ずる。

 

ああ、日本の運命はどうなって行くか。開国以来一度も外敵をして侵させなかった祖国は、絶対に負けるということは考えられない。しかし戦うことが不可能なほど戦力に差があり、敢て戦えば我方が裸になるということがあれば、一体どうなるだろう。祖国の危機である。こんなに巷間の人が悉く働き、工場が増設されて行っても、米国の大量生産方式には到底対抗出来ないのではないかという危惧を深く感ずる。

 

昨日か社で菊池君が、内閣が動揺していると言った。しかし東条首相兼参謀総長陸軍大臣は、こういう非常の時の打開が出来ねば責任問題とはなろう。しかし外に誰があるか。人が代って、国運が打開出来るような時機ではない。今内閣でも変ったならば、それこそ国内の動揺一層深くなるではあるまいか。

 

この頃の新聞から、今のパリの生活、ベルリンの生活、イタリアの戦線後方の姿などを切抜いて見る。どれもそれぞれに切迫した戦雲の下にあって、色々思い較べられるものがある。これ等に較べて東京はまだまだ平穏である。しかし必要量の三分の一ずつ不足する食糧への支払いは、一般の俸給生活者には、いよいよ無理になって来た。闇値では米一升十円以上、酒一升四十円以上、馬鈴薯一貫目三円五十銭位などというが、それでも中々都会にいては手に入らないのである。四円あまりかかる一級料理店の夕食でも二つ食わないと腹に満たない。五人家族で一食分には馬鈴薯でも一貫目はいるから、その値は一ケ月で百円である。そして中等学校の教員程度の月給は平均百五十円である。これではとても生活して行けそうもなくなる。結局食事を減少して営養不足に陥る外はない。在来の金持と時局産業の高額所得者が食物の闇値をせり上げ、俸給生活者の生活を不可能にして行くのである。

 

[#地から1字上げ](伊藤整、太平洋戦争日記(三)

[#地から1字上げ](この作品は昭和五十八年十月新潮社より刊行された)

 

 

先生、今回の引用はサイパン陥落まで続きます。お楽しみに。

諸君、この作家、エロだなあ。

 

【写真】『沈黙』を続けるAマッソの加納さん