愛子さまトーク(秋山図1)

斧入れて香におどろくや冬木立  蕪村

 

[#地から1字上げ](雪折れも聞えてくらき夜なるかな――蕪村)

 

事実と虚構。本物と偽物。真と偽。善と悪。

 

[#地から1字上げ](実物とその物を描いた絵画)

[#地から1字上げ](われわれの詩学

 

登場人物

 

黄公望(号は大癡、及び一峯。秋山図の作者)

惲南田(甌香閣主人)

石谷(客)

煙客先生(王時敏。大癡を宗とする。五十年前に大癡の「秋山図」を見た人物)

廉州先生(王鑑)

元宰先生(菫其昌。煙客に大癡の「秋山図」を紹介する)

張氏(大癡の「秋山図」の所有者)

王氏(張氏の「秋山図」を譲り受けたとされる人物。王石谷の親戚)

 

[#地から1字上げ](『秋山図』論――美の心象――、一〇〇頁)

[#地から1字上げ](大里恭三郎、芥川龍之介―『藪の中』を解く、審美社、1990年)

 

俺の天使が来たぞ

出ろ、今夜また会おう

 

もう井戸から出てきたのかね

よしましょう

 

井戸はおしまい、真理もね

おしまい?

 

お客が寄りつかなくなったの

だって肩先だけの「真理」じゃね

 

当然よね

お客は欲張りで正直だからな

 

君は「真理」よりも、衣装を

つけた方がすばらしい

 

どっちにしても同じこと

謙虚だ

 

[#地から1字上げ](映画・天上桟敷の人々)

 

純粋だ

そうじゃないのよ

 

お客が醜すぎるのよ

そう、世間の奴らは醜すぎる

 

片っ端からなぶり殺したいね

相変わらず残酷ね

 

[#地から1字上げ](映画・天上桟敷の人々)

 

「秋山図」は彼の芸術論をテーマにしたものと見うる。芸術は鑑賞者と創作者との共同製作であり、成心なくして受け得た芸術の第一印象と、あらかじめ成心を以て対したそれとは全く別物であること。理想的な芸術の像は鑑賞者の想像に於いてのみ存在すること。むしろ想像のうちにあって現実は一そう美化され、理想化されるために、その後実際の実物に接すると失望すること、などという思想が、先ずはこの作品のテーマと見てよい。

 

[#地から1字上げ](吉田精一、解説、四二四頁)

[#地から1字上げ](芥川龍之介全集2、筑摩書房、昭和三十九年)

 

『秋山図』の主題について、これまでに最も深い解釈をしているのは、吉田精一であろう。

 

「この作のテエマたる作者の芸術観乃至人生観は、様々に解釈し得るかも知れぬが、要は、次の如くであろう。芸術は結局鑑賞者と創作者との共同製作になること、成心なくして受け得た芸術の第一印象と、あらかじめ成心を以て対したそれとは全く別物と思われるほどの相違があること、理想的な芸術の像は鑑賞者の想像に於てのみ存在し得ること、むしろ想像の内に於て、現実は一層美化され、理想化される為に、実際実物に接する場合には失望を味わうこと――以上の芸術観或は人生観を、彼は一幅の秋山図始末に、具体的に盛り込んだのであった。」

 

[#地から1字上げ](『芥川龍之介』)

 

右の解釈を作中人物に具体的に当て嵌めてみると、次のようになろう。(省略)

 

[#地から1字上げ](『秋山図』論――美の心象――、一〇四頁)

[#地から1字上げ](大里恭三郎、芥川龍之介―『藪の中』を解く、審美社、1990年)

 

 

A 秋山図を見た人

B 秋山図を見た人の話を聞いた人

C 秋山図を見たことがなく話を聞いたこともない人

D 秋山図を見た人の話を聞いた人からその話を聞いた人

 

[#地から1字上げ](秋山図――立ち現われるところ)

[#地から1字上げ](われわれの詩学

 

「構造」

 

A 秋山図(絶品)→煙客先生            →50年前

B 秋山図(下位)→煙客先生、廉州先生、私(王石谷)→現在

 

[#地から1字上げ](秋山図――立ち現われるところ)

 

先生、おそらく、われわれのこの構造図は正確ではありませんが、とりあえず、このように整理しないと、芥川の小説がわからなくなってしまうのですか。だから、仮設(仮説)なのですか。

 

諸君、「仮説」と「仮設」の違いも、また、プラトンに由来している用語の違いである。われわれは、われわれ自身、プラトン全集を読まないと、自分が何を言っているのかさえわからない。

 

[#地から1字上げ](われわれの詩学

 

彼は若い愛蘭土人だった。彼の名前などは言わずとも好い。僕はただ彼の友だちだった。彼の妹さんは僕のことを未だに My brother's best friend と書いたりしている。僕は彼と初対面の時、何か前にも彼の顔を見たことのあるような心もちがした。いや、彼の顔ばかりではない。その部屋のカミンに燃えている火も、火かげの映った桃花心木の椅子も、カミンの上のプラトオン全集も確かに見たことのあるような気がした。この気もちはまた彼と話しているうちにだんだん強まって来るばかりだった。僕はいつかこう云う光景は五六年前の夢の中にも見たことがあったと思うようになった。しかし勿論そんなことは一度も口に出したことはなかった。彼は敷島をふかしながら、当然僕等の間に起る愛蘭土の作家たちの話をしていた。

 

「I detest Bernard Shaw.」

 

僕は彼が傍若無人にこう言ったことを覚えている、それは二人とも数え年にすれば、二十五になった冬のことだった。……

 

[#地から1字上げ](芥川龍之介、彼 第二)

[#地から1字上げ](大正十五年十一月二十九日)

 

惲南田「模本でもご覧になったのですか?」

 

石谷「いや、模本を見たのでもないのです。とにかく真磧は見たのですが、――それも私《わたし》ばかりではありません。この秋山図のことについては、煙客《えんかく》先生(王時敏)や、廉州《れんしゆう》先生(王艦)も、それぞれ因縁がおありなのです」

 

[#地から1字上げ](秋山図――立ち現われるところ)

 

廉州「これですか? これは――」

 

王氏「これは?」

 

廉州「これは癡翁第一の名作でしょう。――この雲煙の濃淡をご覧なさい。元気|淋漓《りんり》じゃありませんか。林木なぞの設色も、まさに天造とも称すべきものです。あすこに遠峰が一つ見えましょう。全体の布局があのために、どのくらい活きているかわかりません」

 

私 「先生、これがあの秋山図ですか?」

 

煙客「まるで万事が夢のようです。ことによるとあの張家の主人は、狐《こ》仙《せん》か何かだったかも知れませんよ」

 

[#地から1字上げ](秋山図――立ち現われるところ)

 

吉田精一の鑑賞は委曲を尽くしているようにも見えるが、しかし肝腎の秋山図は、はたして煙客翁が五十年前に張氏の家で見た黄大癡の「秋山図」であったのかどうかについての判断は下していない。以下、私はその点について追求してみることにしよう。

 

[#地から1字上げ](『秋山図』論――美の心象――、起承「転」結、一〇七頁)

[#地から1字上げ](大里恭三郎、芥川龍之介―『藪の中』を解く、審美社、1990年)

 

『秋山図』は一読したかぎりでは、それこそ狐につままれたような印象を受ける。

 

作者はここで、惲南田と同じ立場にたって、「王氏の秋山図が、張氏の秋山図と同じものであろうとなかろうと、それはどちらでもよいではないか。人の心にその秋山図の美しいイメージが生き続けているのなら……」と言っているのであろうか。

 

[#地から1字上げ](『秋山図』論――美の心象――、「起」承転結、一〇二頁)

[#地から1字上げ](大里恭三郎、芥川龍之介―『藪の中』を解く、審美社、1990年)

 

 

先生、小説とは違い、論文の場合は、結論から読むのも一つの方法ですか。

諸君、正しく質問されなければ、正しく答えることもできない相談である。(注)

 

[#地から1字上げ](事実《ファクト》が全てです――安倍総理の国会答弁)

[#地から1字上げ](安倍総理、下らない野党の国会質問に苦言)

 

注 今さら言わずもがなかも知れませんが、われわれの記述における先生と諸君の関係は、漫画「1・2のアッホ!」のカントクと定岡の関係に比例しています。