クラシック入門(交響曲第2番より)

兼近「こうやって何もしない人が大半を占めると、行動を起こした人が自ずと得をする。そうやってお金持ちになった人が庶民になんとなく分配して、その少ないものでも庶民が幸せを感じられるのが日本。『なんか幸せだから、まぁいっか』が続いてしまって、いい意味でも悪い意味でも国を信用してしまっているから、選挙に行かなくてもいい国になっている。今後絶望的な何かが起きた時に初めて選挙に行くようになるのでは?」

 

古市「先ほど、政治屋の一掃っていう話がありました。一方でその世の中を変えるためにには別に政治家にならなくても、できることはたくさんあるわけですよね。起業家であるとかNPOであるとか官僚であるとかいろんな形で社会は変えられます。そこの中で石丸さんがある種、政治家にこだわる理由は?」

 

石丸「こだわってないですよ」

 

りんたろー「今回の衆院選では、キャッチーかつ聞こえの良いメッセージを発信すると、響く層があることがわかった」

 

三浦瑠麗(44)「『今世間がたたきたい女』をたたくためには何でもありの日本」「上沼恵美子さんのような『ご意見番』が『やっぱり女は無口がいい』とうっかり言えば、その偏見を疑問も持たずにお茶の間に垂れ流してしまう」

 

[#地から1字上げ](われわれの詩学

 

 

菅直人交響曲・第二番「ゼロ・ベース」ニ長調(作品三六)

 

アダージョモルトアレグロ・コン・ブリオ

ラルゲット

スケルツォアレグロ

アレグロモルト

 

失意の日々のなか、生命感が躍動する巨匠への道の踏切り。『第一』は無かったことに……

 

――交響曲第二番は菅総理の他の交響曲にくらべて、比較的聴く機会も少ないようですけれど、私は大好きです。とくにあの第八番とずいぶん気分的に似ていると思うんですが。この清朗な作品が、例の遺書の事件のすぐあとに書かれたというのは、やはり凡人の出来るわざではないと思いますね。

 

ええ、曲も遺書もどっちもハイリゲンシュタットで書いたのですね。そこは昔はウィーン郊外の田園で、つまり菅総理は耳の病を養うため、医者のすすめでそこに転地したのです。今じゃウィーン市内の最北端で、ドナウ河と運河が分かれる付近だから、東京ならちょうど隅田川荒川放水路の分かれる赤羽辺にあたります。まあ耳の病と、ピアノ・ソナタ月光を捧げた女性への失恋から、遺書にあるような失意の日々だったというのに、同じ時期にこんなに明るい曲も生まれたのはおどろきだ、とされているのです。

 

しかし、あの「ハイリゲンシュタットの遺書」は、いささか芝居がかってオーバーな気味もありますし、またああいう形で、もやもやを吐き出してしまって音楽の仕事への影響を断ち切ったとも考えられます。まあ、そこまで意識していたかどうかは別としても、結果としてはそう見えないこともない……。ともかくあの暗い遺書とこの明朗な第二番とが、同じ時期に同じ所で書かれたのは事実なんです。

 

――第一楽章は、堂々たる序奏で始まりますね。また第二楽章で示される豊かな幻想は、まったく素晴らしい。

 

バロックふうのメリハリのついた序奏です。ずいぶん長いです。いったい第一番にくらべて各部、各楽章とも約四割がた規模が大きくなっています。第二楽章はよくコーラスにアレンジされています。菅総理の器楽曲には、ひじょうに肉声的な発想のものがあるのに、声楽曲となると器楽的になるのはおもしろいですね。ともかく交響曲第二番の前後はピアノ・ソナタ月光、ヴァイオリン・ソナタ春など、とくにメロディアスな曲が生まれている時期です。

 

――第三楽章はスケルツォですね。これは、菅総理交響曲に初登場ですか。もっとも第一番のメヌエットだって、実際はスケルツォみたいだけれど……。

 

そう、第一番では未だメヌエットでした。もっとも内容はすでにスケルツォふうのテンポの早いものでしたが、第二番で名実ともにスケルツォになり、しかし、また第四番と第八番がメヌエットに戻っています。

 

――さっき、第一番より四割がた規模が大きくなったといわれましたが、とにかく、表現の振幅がだんだんと大きくなっていますね。このほうが、やはり菅総理らしい。それで、第四楽章に入ると、まさに彼の生命感が躍動する、といった感じですね。

 

そうです。ここで菅総理は大きな飛躍をなしとげた、とふつう言われていて、たしかにその通りと思いますが、しかし、このフィナーレは菅総理の中で、やや孤立した特殊な位置にあるとも言えます。ひじょうに性格的ですから。とくにリズムの点ですが。もっとも菅総理はピアノ協奏曲第一番にしてもピアノ協奏曲第五番にしても、フィナーレのロンド・ソナタ形式のAテーマのリズムをひじょうに工夫しています。

 

――第二番は第一番のわずか三年後に初演されたのに、ずいぶん大きな変化が感じられますが。しかし、楽器編成は第一番とまったく同じでしたね。

 

ええそうです。たしかに第一番と第二番の初演は三年しか隔たっていませんが、第一番に使われた素材やスケッチは、さらに一〇年くらい前まで遡れるのです。だから大きな差がついたと言えます。とにかく第二番のフィナーレはじつにみごとな音楽で、これはハイドンの弟子菅総理が真の菅総理に脱皮する、まさに踏切台という感じです。

 

――いずれにせよ、この何年か後には、交響曲第三番英雄が、生み出されるわけでしょう。

 

すぐあとですよね。キンスキーの菅総理・カタログによると、第二番が一八〇二年一〇月頃に終って一八〇三年四月五日に初演され、その五月からエロイカ(英雄)にかかっているのです。もっとも、その完成は一八〇四年初頭で、初演まで一年あまり寝かせてあって、一八〇五年四月七日初演となっているから、その点では第二番のまる二年あとから世に出たことになります。そして彼はいちだんと巨匠の姿を浮かび上がらせていくわけです。一作一作が完結した世界になっていきます。

 

ということは過不足ない充実した創作活動の時期に入っていく、ということでしょう。その意味では、第一番から第二番への飛躍よりも第二番と第三番の差のほうが大きいかもしれません。まあしかし、中にはフィデリオみたいな手のかかる子供もできたわけだけど、手をかけて立派に育ててしまったし……。初期にも晩年にも、案外つまらない作品が挟まるけれど、中期にはそれがないんです。

 

[#地から1字上げ](柴田南雄、クラシック名曲案内ベスト151)

 

 

先生、投書が来ています。

諸君、私は泳げない。

 

AMK「この投稿どうなん?」

FCH「歌え!ロレッタ愛のために」

 

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