私見(DA・YO・NE)

ラッパー呂布カルマ、石丸伸二氏言動に「

馬鹿のためには働けないんじゃないか」

私見つづり反響

 

ラッパー呂布カルマ(41)が11日までに自身のX(旧ツイッター)を更新。7日投開票の東京都知事選に出馬した前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏(41)について私見をつづった。

 

石丸氏は、現職の小池百合子知事(71)の3選当確後、一部メディアで出演者らとやり取りした際の言動がさまざまな波紋を呼んでいる。

 

呂布は8日夜の更新で、Xに「俺は好きだけど、石丸さんあの態度で政治やろうとしてんの不思議だな。馬鹿のためには働けないんじゃないかな」と記した。

 

この投稿に対し「まさにこれやな」「まったく同感です」「馬鹿のためには働けない←これが一番、腑に落ちました」「Xの様々な石丸評の中でも群を抜いて納得できる疑問と仮説」などさまざまな声が寄せられている。

 

[#地から1字上げ](日刊スポーツ新聞社によるストーリー)

 

 

われわれは、石丸氏(41)を、ネットでもテレビでもほとんど見たことがないので、間違っていると思いますが、ネットの記事を読む限り、政治家としての彼は「馬鹿のためには働けない」というよりも、第一印象、「自分に悪意を持って応じる相手には全く容赦をしない=仮に公人になった場合、敵のためには確信犯的にいかなる利益も与えない(働かない)」人物なのかと思いました。問題は、このような人物――とはいえ、今の日本人は聖人君子でもない限り、多かれ少なかれ、どこか石丸人間なのだと思いますが――が権力を持った場合(原因)、はたして、この国にどのような災禍(結果)をもたらすものか、一度、和田秀樹氏のチャンネルででも精神分析をお聞きできれば幸いです。というか、石丸氏よりも怖いのは、あれだけ、ネットでいじめられた(と思っているだろう)小池都知事が――三選おめでとうございます――仮にそれぞれの指摘が事実だったとしても、今後、自分だけが何て可哀そうなんだという被害者意識を増大させて、勝手にこしらえた敵(都民)に対して報復行動に出ないかどうか、なまじ、彼女の場合はその能力(権力)を保持してしまった以上、心配しているのはわれわれだけではないと思いたいと思います。というのも、もしも、逆にわれわれが権力を握ったら、必ず、そうするだろうと思うからです、握るはずがありませんけどね。

 

[#地から1字上げ](われわれの詩学

[#地から1字上げ](ねらわれた学園若狭勝のニュース塾)

[#地から1字上げ](目黒のさんま、三遊亭円楽、落語名演集3)

 

 

仙台を去つて後、私は多年写真をうつさなかつた。それに状況も思わしくなく、通知すれば彼を失望させるだけだと思うと、手紙を書く気にもなれなかつた。年月が過ぎるにつれて、今さら改まつて書きにくくなり、そのため、たまに書きたいと思うことはあつても、容易に筆がとれなかつた。こうして、そのまま現在まで、ついに一通の手紙、一枚の写真も送らずにしまつた。彼の方から見れば、去つてのち杳《よう》として消息がなかつたわけである。

 

だが、なぜか知らぬが、私は今でもよく彼のことを思い出す。私が自分の師と仰ぐ人のなかで、彼はもつとも私を感激させ、私を励ましてくれたひとりである。よく私はこう考える。彼の私にたいする熱心な希望と、倦《う》まぬ教訓とは、小にしては中国のためであり、中国に新しい医学の生れることを希望することである。大にしては学術のためであり、新しい医学の中国へ伝わることを希望することである。彼の性格は、私の眼中において、また心裡において、偉大である。彼の姓名を知る人は少いかもしれぬが。

 

彼が手を入れてくれたノートを、私は三冊の厚い本に綴じ、永久の記念にするつもりで、大切にしまつておいた。不幸にして七年前、引越しのときに、途中で本箱を一つこわし、そのなかの書籍を半数失つた。あいにくこのノートも、失われたなかにあつた。運送屋を督促して探させたが、返事もよこさなかつた。ただ彼の写真だけは、今なお北京のわが寓居の東の壁に、机に面してかけてある。夜ごと、仕事に倦んでなまけたくなるとき、仰いで燈火のなかに、彼の黒い、痩せた、今にも抑揚のひどい口調で語り出しそうな顔を眺めやると、たちまちまた私は良心を発し、かつ勇気を加えられる。そこでタバコに一本火をつけ、再び「正人君子」の連中に深く憎まれる文字を書きつづけるのである。

 

[#地から1字上げ]──昭和元年十月──

 

[#地から1字上げ](魯迅、藤野先生、竹内好訳)

 

 

「おい、こんなんじゃ踊れないよ」

「じゃあ、これは?」

 

[#地から1字上げ](加藤茶、RAP MIYO-CHAN)